日本の自覚
ヨーロッパは遂に動乱に入つた。それは日本にとつて「神風」であるといはれてゐる。これは確かにさうであるといはれ得る。だが環境の好転も主体がしつかりしてゐなけれは役に立たぬ。こちらの態勢が調つてゐない場合、環境の変化は却つてただ内部の混乱を惹き起すのみである。
この際最も戒むべきことは環境の好転に有頂天になつて自分を忘れることである。これまで私は、「世界を見よ」と繰り返していつて来た。しかし今こそ私は、「日本を見よ」といはなければならないのである。かのことが必要であつたのと同じ理由によつて今このことが必要になつたのである。
支那事変の初め、これを日清、日露の戦役と同じやうに考へた人々があつた。その結果が如何なるものであるかは既に理解することができた筈である。今日ヨーロッパの動乱を眺めてまた或る人々は嘗ての世界大戦時代における好況の再来を考へようとしてゐる。しかしそれが如何に性質の異るものであるかはやがて明かになるであらう。
最も厳粛な事実は、日本も既に以前から戦争してゐるといふことである。ヨーロッパの動乱で支那事変が何処かへ吹つ飛んでしまつたかのやうに考へることは、久しく希望を求めてゐた人々に起り易い幻想であるが、かかる幻想にとらへられないことが肝要である。世界的に見ても、今度の大動乱はソヴェトの世界政策の成功を意味すると解釈することが可能でさへあるのだ。世界史の明日の立場から考へても、支那の問題は全ヨーロッパの問題に比して決して小さくないどころか、一更に大きいのである。
実体のない好景気は恐るべきである。物資が不足し、労働力が不足してゐる場合、その好景気は果して実体のあるものであり得るであらうか。かやうな景気に浮かされて、これまで折角抑制されて来たインフレーションが急速に進行するやうなことにでもなれは、国内体制は破壊されることになるであらう。今こそ国民の自粛自戒の最も大切な時が来たのである。
ヨーロッパの動乱のために好景気に見舞はれようとしてゐるアメリカにおいて、ルーズヴェルト大統領は、「米国民は戦争で苦しむ列国民の犠牲において利益を求めることは道徳上許し難い」といつてゐる。かかる人道主義的感情は別にしても、今日我が国民はヨーロッパの動乱に心を奪はれて日本の立場を忘れるやうなことがあつてばならぬ。今こそ我々は他の人々に替つて「日本の自覚」の必要を説かねばならないのである。
(九月六日)