機構の単純化



 統制の進展につれて民間人の官庁との交渉も頻繁になつてくるやうである。ところでその人々の話に依ると、或る一つの事柄について各省の間で、或ひは各局乃至各課の間で、方針が一定してゐないために困るといふ。
 殊にそのためにわざわざ地方から出て来たのに結局変領を得ないで迷惑することも尠くないとのことである。かかることは今日の如く総てが急速に変化しつつある場合には已むを得ないにしても、なるべく無くしなければならぬのはいふまでもない。
 かやうな不統一の重要な原因の一つは最近特に官僚機構が膨脹してきたことにある。この膨脹は統制の拡大強化と関聯してゐる。しかるに機構が尤大なものになると共に、今度はそれを相互に連絡したり統制したりするための機関が必要になり、かくして機構は更に膨脹し、いはゆる尾大振はずといふ状態になる。この状態を改善しようとして新しい機関が作られると、今度はこれが更に一つの重荷になつて益々非能率的になるといふことが生ずるのである。
 官庁の間の不統一は従来の縄張り意識が無くなるのでなければどうにもならないものである。縄張り意識があるために、それを連絡したり調整したりする機関が必要になることがあり、折角その機関が出来ても、その機能を十分に発揮し得ないことになるのである。
 近年官僚機構は膨脹するばかりである。しかるに非常時に必要なのは却つて機構の単純化ではないであらうか。非常時とは機構の単純化が必要であるやうな時期であるといひ得るであらう。
 実際、例へば五相会議は非常時になつて必要になつてきた内閣制度の単純化の一方法である。進んでは国務大臣と事務長官との区別によつて大臣をもつと少数にすることも考へられるであらう。機構の単純化は責任の所在を明かにして能率を挙げる方法である。
 もちろん統制には機構の拡大を必要とする方面もあるであらうが、これとても、国民の自主的協同が強化されてくれはその必要も減ずるのであつて、もし国民に協同の精神がないならば、いくら機構を拡大しても目的は達せられない。如何にして積極的な協同の精神を国民に植ゑつけるかが問題であり、それは固より機構の問題ではないのである。


(七月十九日)