時の問題
物価の騰貴はなかなか止まないやうである。物価問題は国民生活の安定にも関係する最も重大な問題である。政府においては物価委員会を作り、その物価政策大網が発表されてからでもよほど時を経たが、それがどのやうに具体化されたのか聞かないし、その間に一方、物価は遠慮なく騰つてゐる。このやうにして放任しておけは、統制は益々困難になるはかりである。一旦騰つた物価を引戻すといふことは殆ど不可能である。
すべて、時が大切である。とりわけ非常時においては時が大切である。非常時とは特別に時が大切であるやうな時期であるといふことができる。あらゆる時があらゆることにとつて同価値であるのではない。すでに自然は時を選ぶ。自然にも選はれた時がある。この時に遅れてはならないのである。人間の行為においては更に一層時が問題であり、行為の価値は単にその内容によつてのみ決定されるのでなく、その半ば以上はそれが為される時によつて決定されるのである。
とりわけ政治においては時が重要であり、時がすべてであるとさへ言ひ得る。学者の研究室においては、結果に達することが半年遅れようと一年遅れようと、あまり問題でないかも知れない。併し今日物価委員会の如きものは学者の研究室の如きものであることができない。政治にとつては時が問題である。調査や研究はもとより必要であるが、それは平生に用意しておくべきことであつたのである。従来、委員会とか調査会とかは、政府の責任のかれのために作られた場合が尠くなかつた。そのやうなことは今日もちろん許される筈がない。すべて困難な問題は一寸延ばしに延ばしておくといふやうなその日暮しの政治は最も無責任であるといはねばならぬ。
問題は時である。最近精動で学生の断髪等々を決定したが、あのやうなことでも支那事変の当初に断然実行させてをれば、恐らく今日のやうな不平は起らずに済んだであらう。それを漸く今日になつて、誰が考へても他にもつと重要なことが明かに存在する場合、実行させようとするから一層多く不満も生ずるのである。
時の問題はもちろん時の宜しきを得るといふことであり、従つてそれは場合によつては時を待つといふことである。徒らにあせるのもまた時を知らないものといはねばならぬ。
(七月十二日)