流言蜚語



 依然として流言蜚語が絶えないやうに思はれるのは甚だ遺憾である。流言蜚語は社会不安の原因であり、これに対する取締りを厳重にすることが必要である。
 インテリゲンチャは物を合理的に考へてゆくもので、流言蜚語のやうな根柢のないものはインテリゲンチャとはおよそ縁のないものと思はれるのに、彼等がむしろ流言蜚語の元である場合が尠くないといふのは困つたことである。それはインテリゲンチャが今日次第に社会的に根柢のないものとなつてゐる一つの証拠であるのであらうか。勿論今日インテリゲンチャの社会的存意義が消滅したのではなく、減少したのでもない。却つてそれは増大しさへしてゐるのである。そこで真のインテリの後退は疑似インテリの跋扈となる危険がある。疑似インテリに踊らされねばならぬほどインテリが無信念、無思想になつて好いのであらうか。
 流言蜚語はすべて不安の表現である。それを伝へる者はもとより、それを作る者も自分が不安であるからそれを作るのである。流言蜚語は一定の社会的雰囲気の中で生れるものであるが、それを自分の個人的な目的のために利用する者が存在することによつて益々悪質のものとなるのである。言ひ換へると、流言蜚語は単純な不安の表現に止まるのでなく、それを作る者、或ひはそれを伝へる者の意識的な乃至無意識的な利己的意図と結び付いて不純にされてゐをのが常である。
 流言蜚語をなくするには、すべての意見が知的な公共的な表現をとるやうにすることが肝要であるのはいふまでもないであらう。殊に政治は謀略だといふやうな考へ方があつては流言蜚語はなくならないであらう。謀略は謀略によつて倒れる如く、一つの流言蜚語が自分に好都合なやうに見えるために許しておく者は、みづから他の流言蜚語に害されることになるのである。どのやうな流言蜚語でも存在することは決して健全な状態とはいへぬ。
 政治も、外交も、思想対策も、最早謀略では真の成功はあり得ない。それらはすべて国民の輿論を基礎にした公明なものでなければならぬ。国際的デマを粉砕して支那事変を真の成功に導くためには、日本の政治が謀略でなくて公明な原理に立つてゐることを実践的に知らせねばならず、またそのためには国民の積極的な協力の妨害となつてゐるやうな流言蜚語の如きものを絶滅しなければならない。


 (七月五日)