不定な知識人



 この頃、いはゆる国策文学が下火になつて、芸術至上主義的文学の傾向が現はれてゐるといふ。また長篇小説の流行がすたれ始めて短篇小説の復活が唱へられてゐるともいふ。かやうな変化は絶えず新しいものを求めるジャーナリズムの商業主義にも依るであらうが、単にそれだけであるとは考へられない。
 もちろん国策文学の必要が外部においてなくなつたわけではなからう。その必要は益々増して来たとさへ云へる。それだのに既に国策文学の退潮が現はれたとすれば、これまで国策文学に熱中された時においても国策とか政治とかが甚だ安易に、また安価に考へられてゐたことが今になつて証明されたのではなからうか。
 国策文学から芸術至上主義文学への変化は作家が内省的になつてきたためであるといはれてゐる。政治とか国策とかが内省的になると共に消えてしまふやうなものに過ぎないとすれば、日本にとつて心細いことと云はねばならぬ。人間の本質的な政治的存在性について深く考へてゆくならば、人間性の文学も政治的であることができ、かやうな文学にして政治に対して本質的な影響を与へることができる。政治性を有する文学といふのは単に政治から親定された文学のことでなく、反対に政治に作用するやうな文学であつて好いわけである。
 この頃文学界の変化は今日なほ我が国のインテリゲンチャが根本において不定な現象であつて、主体的に確立されたものでないことを示してゐる。かやうな不定性の他の、逆の現はれは、最近またインテリゲンチャの間に次第に顕著になりつつある行動派ともいふべきものの主張である。この一派の者も本質的に不定な現象に属してゐる。時代の客観的な動きに対して適合し得なくなるに従つて彼等は益々焦躁し、あらゆる理論をもつて批評的であつて行動を妨害するもののやうに考へる。理論を否定することが一種の敗北主義であることを彼等は知らないのである。インテリゲンチャの組織されることが必要である。この重大な時期において彼等が不定な現象であるのは、彼等が組織されてゐないためである。しかし彼等を外部の力によつて組織することを考へてはならない。インテリゲンチャは内的にしか真に組織されないものである。彼等が自主的に内部から組織されることに対して一層積極的な活動を期待すべきである。

(六月二十一日)