国民再組織の再吟味



 改組後の国民精神総動員に対しては既にいろいろ批評が出てをり、またいろいろ希望が述べられてゐるやうである。何にしてもその運動が今日の日本において根幹的な重要性を有することは疑ひなく、それを如何に成功させるかに多くのものが懸つてゐることは明かである。
 そこでは先づ依然として思想性が問題になつてゐる。思想性を問題にするのはインテリゲンチャの偏執であるかのやうに言ふのは、顧みて他を言ふものであり、問題を回避することである。知識階級の動員は国民動員にとつて重変な意義を有するばかりでなく、思想性のない運動は国民に対して指導的であり得ず、国民の力を内部から盛り上らせることは不可能である。
 肇國の精神といひ、八紘一宇の精神といふ、それを力説することは誰も異論がない。八紘一宇の精神は日本民族の永遠の理想、永遠の使命をいつたものである。必要なのは、その永遠の理想を歴史の現在の段階に相応して具体的に内容的に規定することである。永遠なものは時間に於て示され、ただ歴史を通じて実現される。歴史的に時代的に規定された思想が求められてゐるのであり、かやうな思想のみが現実に思想といはれ得るのであつて、永遠なものをそれだけとして語ることは神秘主義になつてしまふのほかないであらう。
 しかし問題は思想のみでなく、組織の問題である。そして国民精神総動員を時局の現在の段階において、またその今後の発展の見通しのもとに効果的に遂行してゆくためには、国民再組織の問題がどうしても取り上げられねばならぬ必要がある。
 国民再組織は近衛内閣の時分に唱へられて実行されずに終つた問題である。そのとき閣僚であつた木戸現内相は平沼内閣になつてから、それを取止めるやうに言明したと覚えてゐるが、時局のその後の発展は、国民精神総動員の完全な遂行といふ点からいつても、国民再組織の問題が今日再び熱心に再吟味さるべき必要を愈々明瞭にしてきたと思はれるのである。
 国民精神総動員と国民再組織とは元来不可分であるべき性質のものである。その一方を不問に付しておいて他方を成功させようとする事は無理であるのではないか。国民再組織の問題を日本の現実に相応した独創的な仕方で解決することが今日の政治家に要求されてゐる能力である。


(五月三十一日)