景気と文化
この頃よく売れるのは決して本はかりではないやうだ。美術界にも思はぬ花が咲いて、名のある画家の作品など、天井知らずに暴騰を続けてゐるとのことである。
由来、成金時代は新画時代といふのが美術商の間の通念であるらしい。新画を狙ふのは骨董界では初歩の入門時代のことなので、新画に人が集まつてくる時代は俄かに富裕階級が生じたことを示してゐる。ところが最近ではそのやうな新画に熱中する者が数増し、かくて例へば大阪美術倶楽部未曾有の新画専門の大売立がこの二ケ月間に三回続いたといふ新記録が作られてゐる。成金時代が来た兆しであらうか。
ともかく支那事変の当初と今日とでは注目すべき相違があることは事実である。事変の初めには戦争中に美術品漁りでもあるまいとの遠慮から予約された大売立は悉く中止されたさうで、大阪美術倶楽部などでも例年一千万円を超える売立額が昨年は四百万円を割るといふ寂しさであつたのが、この頃になつて、軍需景気が爆発したのであらうか、いはゆる新画時代の奇現象が現はれてゐるとのことである。この変化は美術界にのみ限られたことであらうか。
もちろん私はかやうな現象を一概に非難しようとは思はない。それによつて美術家たちが潤ふことであれば、ともかく喜ぶべきことである。またそれが成金景気に依るものであるとしても、それは日本人の風流心とか美術愛好の国民性とかを現はすものであり、文化的向上に対する希求がすべての人間において如何に深いものであるかを語つてゐるであらう。
しかし文化的にいつても、そこにはまた大いに警戒すべきものがある。成金趣味の氾濫が美術界に悪影響を及ぼすといふことがないであらうか。文化は一種の贅沢であり、一国に経済的余裕がなけれは文化は開花しないとしても、成金や成金趣味から真の文化の生れ得ないことは確かである。これは単に美術界のみのことではない。昔は貧乏なものと決つてをり貧乏を得意にした文学者の間にも一種の成金が生じつつあるといはれる今日、すべての文化人には新たな反省が要求されてをり、政府の文化政策においても考ふべき問題がある。
更に根本に潮つて、もし云はれる通り新画時代が成金時代であるとすれば、成金は今日如何にして生じ得るのであらうか。統制、殊に物価統制が最も重要なことになつてゐる場合、いはゆる新画景気は深く検討すべき問題を提供してゐる。
(五月三日)