秘密の漏洩


 非常時には秘密といふものが国家の利害に特に大きな関係を持つてくる。秘密にせねばならぬ事柄が殖えるばかりでなく、秘密が守られねばならぬ必要も増してくるのである。各国はあらゆる手段に訴へて他国の秘密を探らうとする。スパイ戦は戦争の重要な部分であるといひ得るほどである。
 しかし秘密が守られねばならないのは単に対外的な関係においてのみではない。対内的にも非当時には秘密を守ることが全体の利金のために大切であつて、政府関係の諸会議、諸調査会、諸委員会等は特にその責任を有してゐる。例へば政府の経済政策、就中物価統制の如き重要問題に関してなほ秘密にしておくべき事柄が一部に早く漏洩するやうなことがあるとすれば、それが投機に利用されるといふこともあり得るし、たとひそのことがない場合においても、委員会の決定事項などが一部にのみ早く分るといふやうなことがあれば、そこにおのづから感情も絡んできて、政府の期待する物価政策への全面的な協力に綽が入るといふことにもなり易いであらう。統制の時代においては特に政府関係の諸機関が守るべき秘密を守り、その政策発表の方法についても一段と注意することが肝要である。
 秘密が漏れるのは秘密を漏らす者があるからである。他の秘密を竊むスパイは、その行為自体は卑しむべきであるにしても、自分の国家の為めにする行為として弁護されることもできるが、自分から秘密を漏らす者に至つては全く弁護の余地がない。
 なんでも秘密にしたがる心理となんでも秘密を漏らしたがる心理とは、相反するやうで実は一つのものであり、秘密の有する心理的魅力を示してゐる。なんでも秘密にしたがる者はなんでも秘密を聞きたがる者であり、またなんでも秘密を漏らしたがる者である。社会的にいつても、なんでも秘密にしたがる社会には、なんでも秘密を聞きたがる者が多く、またなんでも秘密を漏らしたがる者が多い。この風をなくするには公明な場所即ち輿論の発達が必要であり、輿論の発達した社会においては却つてよく秘密が守られるものである。官庁などにおいても「極秘」をなるべく少くするといふ気持があつて初めて秘密を守る気風が養はれるのである。
 秘密を守ることが倫埋的に大切なことは分つてゐても、秘密そのものはつねにこれに反して心理的に誘惑する。この心理的誘惑に勝つて秘密を守るといふことは、何よりも教養の問題であると思ふ。守るべき秘密が守られるといふことは社会における教養の進歩の一の重要な兆しである。


(四月二十六日)