文化人の使命



                                   
 さきには従軍作家があり、また有馬前農相によつて農民文学懇談会の如きも設けられたが、今度拓務省では更に大陸文学生産のために作家を動員しようとしてゐる。このとき他方荒木文相は六帝大総長との懇談会において大学の新使命を説いて協力を要請した。かやうにして時局と文化人との関係は愈々密接なものになりつつある。
 日本の、延いては東亜の運命にかかはるこの重大時期において文化人が協力すべき義務のあることは言ふまでもない。誰もこの義務を回避しないであらう。それだけまた文化人には信念と覚悟とが必要である。しかるにその時局的活動について既に国内においても現地においても種々の批評が行はれてをり、中には文化の権威に関するものもあるといふ非難を聞くことは遺憾である。文化人の時局への協力は文化の権威を失墜させるやうなものであつてはならない、文化の権威の発揚することによつて初めて文化人は真に時局に協力し得るのである。
 由来わが国の文化人についてはその社会的意識乃至政治的意識の欠乏が殆ど定評のやうに言はれてきた。支那事変と共に彼等の間に政治的意識が俄に覚醒されるやうになつたのは甚だ結構なことであるが、併し俄作りのものにはとかく脆弱なところがあるものだ。その俄仕込みの政治的意識が文化の権威を失墜させることにならないやうに注意しなければならぬ。
 特に時局に協力するといふことで文化人が安易な気持になるといふことは警戒を要するであらう。安易な気持からは如何なる真の文化も生れ得ない。そこに批判とか懐疑とかといふものの有する烈しさが必要とせられる理由があるのであつて、今日においてもこの烈しい精神が失はるべきでない。文化の権威を時局の力に委ねて安易な気持になつてばならぬ。
 今日わが国の文化が世界的なものにならねばならぬ場合、日本の文化が現在世界的水準から見て如何なるものであるかについての厳正な認識が要求されてゐる。自己批判は個人にとつても国家にとつても進歩の基礎であつて、ただいはは時局に便乗して自己批判を怠るやうなことがあつてはならない。日本の対支行動が日本の民族的エゴイズムによるものでないといふ精神文化の方面においても活かされることが大切である。時局への協力の名において文化人の固有の使命に対する自覚が失はれないやうに切望されるのである。


(一月十八日)