理想と現実



 新内閣に対する一般の予想は、前の近衛内閣が理想にはしる傾向があつたのに対して、今度の内閣は現実的な政治を行ふであらうといふことにあるらしい。
 近衛内閣はたしかに理想主義的であつた。それは理想的、余りに理想的であるやうに見えた。しかし近衛内閣の欠陥は、それが理想主義的であつたところにあるといふよりも、寧ろその理想主義に実行力が伴はなかつたところにある。余りに理想主義的であつたといふ譏りはあるにしても、これによつて近衛内閣は従来殆ど理想といふものを持たなかつた日本の政治に新しい型を作り出したといふ意義はあつたであらう。政治にともかく理想を持たせようとしたところに、近衛前首相の青年らしさ、明朗さがあつたのであり、そこにまた国民は何か清新なものを感じたのである。
 尤も近衛内閣には断行力が乏しいといふ憾みがあつたのは事実である。この点において平沼内閣が現実的な政治を行ふやうに期待されるのは好いことに相違ない。けれどもそれが余りに現実的になつて国民に何か陰鬱な感じを与へることのないやうに注意して貰ひたい。国民に希望を持たせることは必要である。政治は理想を失ふべきでなく、却つて理想を現実のうちに実現し得る行動性が期待されてゐるのである。
 今日の日本の政治が理想主義に傾くのは或る意味では必然的なことである。それは東亜の新秩序の形成において指導的地位に立つべき日本にとつて当然のことである。単に現実的な政治は国内に対して、はともかく東亜の諸民族に対して呼び掛けることができない。今日の日本の政治は単に内に呼び掛けるのみでなく、更に外に呼び掛け得るものでなければならぬといふことを理解すべきである。日本の政治が一定の理想を持たねばならなくなつたといふことは、日本の政治が世界的意義を持たねばならなくなつたことを示すものであつて、躍進日本に相応することである。
 もちろん、ただ理想にはしることは戒めなければならぬ。この点において我々が平沼内閣に期待するところは大きい。現実主義的であることは必要なことであるが、ただその現実主義が、国内的見地にのみとらはれて、今日の日本の政治が国内のみでなく東亜の諸民族をつねに対象とするものであることの忘れられないことが大切である。
 理想と現実。このいはば哲学的な問題を解決する新しい政治が新日本には要求されてゐるのである。


(一九三九年一月十一日)