倫理と政治



 いはゆる国民再組織に関する政府の方針も決定し、その新団体は「精神団体」として誕生することになつたと伝へられてゐる。国民再組織といふ以上、それは当然政治的意味のものである筈だと考へてゐた者は、既に或る失望を感ぜざるを得ないであらう。
 もとより国民再組織が倫理運動であつてはならぬといふのではない、却つてそれは本質的に倫理運動であることを要求されてゐる。今日の政治は国民の倫理的力に俟つところが極めて多いのである。国民の倫理的力から游離し、従つていはば単に政治のための政治になつてゐたものを新たに国民の倫理的力と結合することが今日の政治であるといふことができる。国民再組織の目的もまたそこに存在する。
 しかしながら国民再組織を単なる倫理運動に止めようと考へることは甚だ不十分である。従来の国民精神総動員が失敗に終つたのは、それが単なる倫理運動であつて国民に政治的目標を与へなかつた為めである。従来の国民精神総動員の限界を克服するために新たに生れる国民再組織はその点に鑑みて国民に対して具体的な政治的目標を明示しなければならない。政治的目標のない倫理は修身教科書的倫理に過ぎず、それでは国民を強力に動かし得ないことは既に試験済みである。まして最近次第に国民の政治的意識の昂揚してくるのが感ぜられる場合、政治性を除外した運動は失敗に終るべき運命にあるであらう。
 既に屡々我々は次のやうな声を聞く。事変以来国民はただ忠実に政府の命令に従つて挙国一致を実行してきた、今更何の必要があつて国民再組織などといふのであるか、と。確かに、単に倫理的な意味においては挙国一致は既に存在したのである。それがなほ消極的で不十分であつたとすれば、国民に明確な目標をもつた政治的意識が与へられてゐなかつた為めである。このものを与へることによつて国民の倫理的力を倍加して集中的に昂揚させることが国民再組織の意義でなければならぬ。
 国民再組織とは簡単にいへば国民の力を最大に発揮させるための運動である。そしてそれには何よりも先づ国民を信頼することが大切である。しかるに国民再組織を単に精神運動として規定することは、国民をなほ信頼してゐないこと、国民の力を必要としながら国民の力を恐れてゐることではないかとの疑惑を生ぜしめないであらうか。
 政治を離れた倫理でなく、倫理を離れた政治でもなく、政治と倫理との統一が国民再組織の原則でなければならぬ。

(一九三八年十二月十四日)