不安な文化



 帝大総長官選問題がともかく片附いて結構なことであると思つてゐたところ、今度は河合教授の問題が起つてきた。河合教授の問題の当不当について私はここで論じようとは思はない。私の。憂へるのは、河合教授の問題が何等かの仕方で片附いたにしても、問題はそれで終結するのでなく、同じやうな問題が次から次へと生じてくる危険を大学自身が絶えず感じてゐるといふことである。
 かくて一つの問題が済めば続いて他の問題が現はれるといふ有様で、大学がつねに不安な状態におかれてゐるといふことは、日本の文化にとつて甚だ困つたことではないかと思ふ。それでは教授も学生も落附いて勉強することができないであらう。問題は根本において一教授が如何に処置されるかといふことにあるのでなく、却つて大学がこのやうに始終不安な状態にさらされてゐるといふことである。もし大学がそれで安定するものであるならは、或る教授が如何に処置されるかといふが如きことは寧ろ小さな問題である。
 大学がかやうに絶えず不安な状態におかれてゐるのは如何なる理由に依るのであらうか。その理由が実際的に突き止められて不安が根本的に取除かれることが必要であり、教授も落附いて研究に従事することができ、学生も安心して勉学することができるやうな状態が速かに来るやうにしなければならぬ。そのためには原則的にいつて当局の思想政策や文化政策の基準の確立され、明示されることが要求されてゐる。
 問題は単に大学のみに関係してゐない。一般に政府の思想政策や文化政策の基準が明瞭でないところから、今日の文化はおよそ不安な状態におかれてゐるのではなからうか。そのためにインテリゲンチャに折角時局に協力しようといふ意志があつても勢ひ後込みせざるを得ないといふ事情が存在しないであらうか。善き意志を有しながらインテリゲンチャが今なほ消極的であることをやめない原因は何処にあるのであるか、当局はその原因について極めて具体的に検討してこれを除去することに努力すべきであらう。
 過日の政府の声明にもあつたやうに支那事変の解決は新文化の創造によつて可能になるのであり、そのためにはインテリゲンチャの協力が絶対に必要である。近来各方面において折角積極的に動き始めてきたインテリゲンチャを再び後込みさせてしまふことのないやうに、当局の賢明にして確固たる処置が望ましいのである。              


(十一月十五日)