事変の進歩的意義
漢口陥落と共に事変は新段階に入つた。これまでは国民にとつて、広東攻略とか漢口占領とかといふやうに、事変の目標が量的に、また集中的に、眼前に与へられてゐた。しかるにこれからは同じではないであらう。そこに国民指導の地位にある者の最も深く考へねばならぬことがある。
今や必要なことは、事変の積極的意義を国民の間に国民自身の信念になるまで浸潤させることである。とりわけこの事変の進歩的意義を掴み出し、国民のうちに夢を、新しい神話を、高い理想を植ゑ附けなければならぬ。従来一般に云はれてきたことは事変の大いさに値ひすべく余りに低調で消極的なことが多かつた。
事態は確かに変化しつつある。最近次第に広く語られるやうになつた「東亜協同体」の思想の如き、事変の意義を一歩積極的に把握したものと見ることができる。しかしこの思想も従来ありふれたブロック経済の思想の如きものに止まることなく、新しい理論的基礎が与へられねばならぬ。日本が世界史的に進歩的な役割を演ずることなしにはこの事変の発展的解決は不可能なのであつて、そのことの根本的に理解されることが肝要である。事変の進歩的意義の閘明は今や要求されてゐる国民再組織の思想的前提であり、且つそれは同時に日支提携のために支那人に呼び掛ける思想の根柢でなければならぬ。
事変の進歩的意義を理解する者は偏狭な思想ほど今日有害なものはないことを知るであらう。しかるに現在なほこの事変の積極的意義を理解してゐないが如き偏狭な思想の存在することは遺憾である。例へば最近仏教家によつて問題にされてゐる国定教科書からの「釈迦」の削除の如き、また台湾総督府の某官吏が聖徳太子十七条憲法を歪曲して、その第二条にいふ「三宝」の「宝」は「法」であり「仏法僧」は「儒仏神」であるとし、明かに排仏的思想を述べたが如き、偏狭な日本主義の弊を示すものであつて、東亜協同体の理想に背馳するものといふべきであらう。
心ある者をして自己を日本主義者と称することを躊躇させるやうなものに日本主義をしてはならぬ。進んで協力しようとする人々を広く包容し得るやうな大思想なしには新秩序の建設は不可能である。
(十一月一日)