国民心理の解明

 子供雑誌が子供に与へる大きな影響を考へて「健全明朗な子供雑誌」を作るべく内務省では絵本を含めての全子供雑誌の統制に乗り出すことになつたと伝へられてゐる。特にその方針の一つとして、チャンコロなどと支那人を侮辱するやうな文句は一切禁じ、むしろ日本人と支那人とが手を握つて新東亜を建設する日支捷携を積極的に強調するやうに努めさせるとのことは、確かに適切な指導と云ひ得るであらう。
 我々は支那と戦ひながら根本において支那人を憎んでゐない。そこに今度の事変の特殊性がある。一部の者から非難されたやうに国民が事変に対して冷淡であるかの如く見えたのも、かやうな国民の心理に基くのであつて、この国民心理のうちにおのづから今度の事変の特殊性が現はれてゐると云ふこともできるであらう。この特殊性の意義を積極的に閘明することをしないで、却つてこの事変を他の戦争と同じやうに考へ、ただ子供の喜びさうな面を取上げるといふのは、事変が終極的に目差すやうに将来日支提携して活動すべき人間の教育にとつて有害なことでなければならぬ。
 問題は必ずしも子供雑誌にのみ関係してゐない。政府でも事変の当初にいはれた「暴支膺懲」の如きスローガンが国民にアッピールすることの少なかつたのを考へて、近く事変処理の方針を新たに示すことになつたと云はれてゐる。ところで暴支膺懲の如き標語が国民の心を捉へ得なかつたのは、我々は支那と戦ひながら根本において支那人を憎んでゐないといふ国民心理を十分に理解せず、この国民心理のうちにおのづから表現されてゐる今度の事変の特殊な意義を国民の前に積極的に閘明することを怠つた為めである。
 もとより国民自身も自己の心理に含まれる意義を必ずしも明確に把握してゐたわけではない。そこに彼等が従来消極的であるといはれた理由があつた。しかし国民は無意識的にせよ正しいものを持つてゐたのである。彼等の心理の意義を解明してこれを思想的に把握させることが大切である。それが真に国民を教育する所以である。教育は彼等の持つてゐないものを与へることができぬ。教育とは人が無意識的に持つてゐるものの意義を明確に認識させることにほかならない。
 子供に対して親支教育を行ふといつても新しい理論的基礎がなければならぬ。理論の必要は事変の進展と共にいよいよ増して来た。


(十月二十五日)