国民への信頼



 政府では今後経済界の実状について国民に知らせて協力を求めることになつたと云はれてゐる。
今からでも遅くはない、当局がその点に気附くに至つたのは結構なことである。
 協力するためには認識が必要である。覚悟を定めるためには認識がなければならぬ。認識とは
真実を知ることである。上から押附けられたことを観念的に繰返してゐるといふのはほんとの時
局認識ではない。時局の実状を知るといふことが時局認識なのである。真実ほど貴いものはない、
真実を知ることによつて初めて何を為すべきかが決まつてくる。しかるに従来時局認識といふも
のが単に観念的なものになつてゐたところが尠くないやうに思はれる。
 国民に実状を知らせることは国民を信頼することである。この意味での国民に対する信頼が今
まで乏しかつたといふことがないであらうか。人を信じて委すことができないのは日本人の一つ
の欠点であると云はれてゐるが、日本の政治にもこれに類する欠陥があつたやうに思ふ。
 戦争は或る意味では最もデモクラチックなものである。下から力が盛り上つてくるといふこと
が大切である。そのためには先づ国民に対する信頼がなければならぬ。信頼しないで、信頼して
打明けないでゐて協力を要求しても、十分の効果を挙げ得ないであらう。そして国民を信頼する
ことがまた国民から信頼される所以でもある。かやうな信頼の関係が如何に大切であるかは、戦
闘に従事してゐる将校には最もよく理解されてゐる筈である。
 政府が国民に信頼して実情を知らせるといふことは、種々の流言蜚語とそれから生ずる社会不
安との源泉を絶つといふ意味においても重要である。事実は隠さうとしても隠しきれるものでな
く、無理に隠さうとすれは流言蜚語を生じ、そのために人心は不安になり、不安な人心は更に新
しい流言蜚語を作り出すのである。
 すでに国民を信頼した政府はいま一歩を進めて然るべきであらう。即ち国民をして現実の事態
について論議を行はしめ、これを指導しつつ輿論を形成することに努めなければならぬ。国民を
信頼して言論を許し、その中から輿論を作つてゆくといふことは、今後における種々の場合、特
に事変に結末をつける場合に必要であらうと思ふ。輿論を作るといふことが国民の腹を作るとい
ふことなのである。

(六月十四日)