「政界」の解消


 輿論は新党を待望してゐる。新党の誕生が強力な革新の前提であるといはれてゐる。かやうな新党は勿論その名に値する実を具へてゐなければならぬ。既成政党の変形に過ぎないものに新党の名を藉すことは誰も躊躇するであらう。従来の新党運動に附き物であつた策士の策動の如きものはこの際許容されないであらう。新党の組織はもはや単にいはゆる「政界」内部の出来事であり得ない。嘗て文壇の解消が唱へられ、今日それは殆ど常識になつてみる。作家の文学活動は文壇のみを対象としてはならぬと一般に考へられるやうになつた。これは玄人に対する素人大衆の発言権の獲得を意味してゐる。
 ちやうどそのやうに政界と称する在来の玄人政治家の集団も解消されねばならないし、また解消さるべき運命にある。国民はもはや玄人臭い政治家に多くの関心も期待も持つてゐない。近衛公に対する国民の間の人気の如きも、公の素人らしい好さに依るところがあると云へる。
 いはゆる政党解消運動にしても、無政党運動であるのでなく、むしろ政界解消運動であるべきである。政治上の取引の場所と見られるやうな政界は解消され、すべての政治活動が素人である国民大衆の中に現はれなければならぬ。新党運動は政党運動としてよりも国民運動として出立し展開されねばならぬといふ今日一部の真面目な主張にも理由があるであらう。政党は本来素人の政治意識と結び附いたものであつたが、政権を取ることが唯一の関心事となることによつて、大衆とは離れた「政界」を形成するに至つたのである。
 種々の形態、種々の方向における現代の独裁政治は、政治家とは指導者であるといふ重要な観念を普及させた。しかし政治の指導性の名は濫用され易い。指導者とは政界を目標とする者でなく、国民の中へ降りて来てこれを率ゐる者のことである。また彼は単に号令する者でなく寧ろ教育家でなければならぬ。しかも真の教育家は彼が教育する者からまた教育されることを知つてゐるやうに、真の指導者は素人から指導されないまでも示唆されることによつて彼等を真に指導することを知つてゐる。
 あらゆる方面において革新は素人を背景として出てくるものであり、また素人を力として行はれるものである。スコラ学派に対する新科学、アカデミズムに対する新藝術、すべてさうであつた。革新を妨げる者があるとすれば玄人であるのがつねである。


(四月十九日)