外国理解の困難


 盟邦イタリアからの国民使節の来朝は我が国の朝野を挙げて歓迎するところである。我々は光栄ある歴史を有するイタリアに対してここに更めて敬意を表したいと思ふ。
 これは日伊両国の相互理解を深めるうへに絶好の機会である。支那事変に関し日本の立場を欧米人に理解させるために我が国はすでに国民使節たちを送つた。その多くはこのごろ追々帰朝したやうである。それらの国民使節派遣の効果について我々国民は遺憾ながらなら審かにしないのであるが、その成績がどうであつたにせよ、今度のイタリア使節の来朝はそのことに幾倍して日本をほんとに理解して貰ふに好都合なことでなければならぬ。日本の政治的立場を説明するために使節を出すことも必要であらうが、外国人をして我々の文化に親しく接触させることは親善の増進にとつて更に有意義なことである。相互の親善は公式的なことよりも日常的なことから進められることが多いといふことに注意しなければならぬ。
 それにしても外国の文化を理解することは決して容易なことでない。イタリア使節一行のうちには「里別田稗太郎」といふ漢字の名を有するピエトロ・リヴェツタ伯の如き日本通の人もゐるのであるが、そのリヴェツタ伯は、富士といふ語をHUZlなる日本式ローマ字書きにしたのを批評して、それは以前のやうにFUJlと綴るべきであつて、この日本式綴り方には感心できないと話したとのことである。これは車中の漫談に過ぎないにしても、如何に外国を理解することが困難であるかを示してゐて、甚だ教訓的である。
 日本語のローマ字綴り方については久しく種々の意見があつたのを、政府で統一して今の日本式ローマ字に定めたのであつて、これは日本が日本語独自の見地において作つたものである。外国人の立場からいへば、彼等の生国の異るに従つて種々に発音されるであらうが、その凡てに一致するやうな綴り方が存在しないとすれは、日本語独自の立場を探るのが当然であらう。盟邦イタリアに適した綴り方をしても、盟邦ドイツには適しないのである。我々はイタリア使節にこの日本の立場をよく理解して貰はねばならぬ。
 ローマ字のことは一瑣事であるかも知れないが、我が国においてもリヴェツタ伯の批評に類する立場から外国の文化を批評し排撃して、ひとり得意になつてゐる場合が尠くないのではないか。深く省るべきことである。


(三月二十二日)