宗派運動と全一運動
支那における文化工作に参加せよといふ主張と関聯して、このごろ仏教界においては全一運動といふものが提唱されてゐる。それは、宗派間の分離乃至相剋を克服して全教団が一体となつて活動せよといふ説である。全一運動と命名したのは誰であるにせよ、それが時代の思潮の反映であることは明瞭である。全一運動は今日、政党を始め、到る処において叫ばれてゐる。全一運動はまさに時代のスローガンである。
事変前の仏教界においては反対に、宗派運動が発展しつつあるやうに見えた。法然とか、道元とか、伝教とか、各宗派の教祖讃仰が唱道され、これを中心として各教団が独自の宗派的な運動を行ふといふ風が濃厚であつた。それは明治以後のいはゆる通仏教の思想に対する反動を意味した。しかるに事変の発展と共にそれに対する更に反動として全一運動が提唱されるやうになつたのである。この全一運動の指導精神は如何なるものであるか。それは再びあの通仏教の思想であることができないであらう。通仏教の思想は今日においてはもはや過去のものである。それは、同じ時代に唱へられた万教帰一の思想と同様、その時代の啓蒙思想、従つて合理主義、自由主義を基礎としてゐる。我々はもはや単純にかやうな思想に還へることはできぬ。教祖中心主義の宗派運動はかやうな思想に対立するものとして十分に意義を有したのである。今日全一運動が必要であるとすれは、その指導精神となるべき新しい統一的な思想が要求されてゐる。その思想は仏教界に果して存在するのであらうか。
全一運動の根拠は政治的必要にあると云はれるであらう。その通りであるにしても、政治の理論は直ちに宗教の理論となることはできぬ。政治の後から蹤いてゆくだけでは文化の意義はない。宗教は宗教自身の思想を有しなければならぬ。すべての宗派宗団を一つに結合せしめ得る宗教思想とは如何なるものであるか。それを政治から借りてくるにしても、政治上の全一運動の思想が如何にして仏教の思想と合致し得るかについて吟味を要するであらう。
いづれにしても全一運動が展開されるためには教団組織の根本的な改革が必要である。この改革に対する用意は十分であるのか。国内における教団の改革、国民の不信心には全く眼を閉ぢて、支那においてのみ全一運動を行ひ、大衆の獲得に成功し得ると信ずることは不可能である。支那における文化工作を思想の貧困のために蹉跌せしめてはならぬ。
(三月五日)