長期戦の覚悟
いよいよ長期戦の覚悟を固めねばならぬ場合になつた。それはもちろん新しいことではなく、事変の当初からすでに予想されてゐたことである。今更あらためて悲壮な気持になることはない。この悲壮がるといふことはわが国民の陥りやすい欠点であつて、長期戦の覚悟にとつては寧ろ無益であらう。何事につけても我々は悲壮がり過ぎるといふことがありはしないか。徒らに悲壮がることなく、却つて常に心のうちに余裕を持つてゐてこそ長期戦に堪へ得るのである。
長期戦の覚悟として必要なのは強靭性である。長期戦となれば勢ひ局面は複雑化し、思ひ掛けないことの起つてくる可能性も殖えるわけであるが、これに処してゆくには強靭な精神が必要である。強いばかりではいけない、しなやかさがなければならぬ。一本調子といふだけでは足りない、打つ手をいくつも用意しておくことが大事である。
長期戦となるに従つて、文化といふものが戦争にとつて如何に重要な意義をもつてゐるかが分つてくるであらう。あの欧洲大戦の時、いつもは柔弱な文化人として嘲笑されてゐたフランス人が如何に強靭に戦つたかを我々は想ひ起すであらう。文化人は弱いといはれる。確かにそのやうなところがあるであらう。文は決して剛直そのものではないからである。しかし文化は人間の心に弾力を与へ、しなやかにする。しなやかさをもたないやうな文化は存しない。そして長期戦にはこのしなやかさが大切である。野蛮人は長期戦には向かないのである。今度の事変は、或る意味では日本人がその素質、伝統、教養において如何なる程度の文化人であるかが試煉されることであるといへるであらう。戦争と文化との関係は、単に軍需科学や軍需工業の方面においてのみ考へらるべきでなく、更に深く人間的文化、人間の身に附いた文化の方面においても考へられなければならぬ。
国民精神総動員にしても、一本調子であることは避くべきであらう。国民を緊張させることは確かに大切であるが、同時に国民の心からしなやかさやゆとりを奪ひ去つてしまふやうなことになつてはならない。余りに一本調子であつては大局を見誤るといふことも生ずる。人間は久しく単調に堪へ得るものでない。また人間の心は何処を押しても鳴るのである。ただ一つの所ばかりを押してゐるのでは、全体としては却つて緊張してゐないことになるであらう。
(一月十八日)