「黄禍」


 西洋ではこの頃また黄禍といふことが云はれてゐるらしい。支那事変の発展と共に、日本は白人を東洋から駆逐する意志であるとか、南洋方面にまで野心を有するとか、その他さまぎまの荒唐無稽なことが宣伝されて、黄禍論の復活となつたのである。
 黄禍といふことは元来ひとつの神話である。この神話は、十三、四世紀における蒙古人の東欧への侵入の記憶に淵源を有するのであるが、日清戦争における日本の勝利以後ヨーロッパで喧しく云はれるやうになつた。この神話の宣伝者として有名なのはドイツ皇帝ヴィルヘルム二世であつて、一八九五年彼の構想に成る「ヨーロッパ諸民族よ、汝等の最も神聖な財を防衛せよ」といふ絵によつて、黄禍といふことが一般に口にせられるやうになつた。
 黄禍論は人種的な観念、社会学者のいはゆる集合表象に訴へようとするものであるが、それは決して単に人種的な思想であるのではない。あのカイゼルの黄禍論にしても、実は、当時極東に向けられてゐたドイツの帝国主義的野心が日本の擡頭によつて脅かされたことから生じた幻想であつたといひ得るであらう。そして十九世紀末には黄禍論の張本人であつたドイツは、現在においては、ヒトラーの政治論も人種論を基礎としてゐるにも拘らず、日本と防共協定を結んでゐるのである。歴史を動かすものが単に人種といふが如きものでないことは、これによつても明かである。
 いはゆる黄禍の内容も現実の政治情勢の変化に応じて変化してゐる。日清戦争や日露戦争の頃にはそれは日本の脅威を意味し、やがて一時してそれは支那人や日本人のアングロサクソンの国及びその植民地への移住に対する排斥の声となり、更に一転してそれは白人の支配に対するすベての有色人種の民族解放運動に向けられるに至り、そして今日ではまた再転して日本の脅威を意味することになつたのである。
 黄禍論者にとつて最も恐しいことは、何といつても日本と支那との提携である筈である。ところが現在においては、支那が欧米に向つて日本の脅威を宣伝し、その黄禍論に油を注いでゐる状態であるといふことに注意しなければならぬ。またすべての黄禍論は黄色人種と白色人種との文明の相違を誇張するのであるが、これは欧米人の東洋文化についての理解の欠乏に基くことが多いであらう。無益な黄禍論を無くするには、世界史に関するいはゆるヨーロッパ主義の偏見を除くと共に、日本の意図する日支提携の真意を支那はもとより全世界に対して率直公明に理解させることが必要である。

  (一月十三日)