世界の秩序



 南京陥落後において日本に差当り与へられた問題は、蒋介石政権を如何に取扱ふかといふことであつた。しかるにこの問題はそれだけで孤立したものでなく、全支那の、延いては東洋の全秩序を如何に、構想するかといふことに関係してゐる。
 支那事変は東洋に新しい秩序を齎さねばならぬであらう。それは単に暴支膺懲といふが如きことに尽きるものでなく、東洋の新しい秩序が元来の問題であつたのである。このことは今日ではもはや誰の眼にも明かである。かやうにして南京陥落は「東洋歴史の新しいページ」として迎へられた。戦争の目的は単に蒋介石政権を倒すといふが如きことに尽きるのでなく、東洋の新しい秩序を建てることに存するであらう。
 この新しい秩序については既に種々構想されてゐる。だがその際考へねばならぬことは、東洋の秩序の構想は世界の秩序の構想なしには不可能であるといふことである。
 国際関係は現在日本にとつていよいよ微妙なものになつてゐるといはれる。我々はイギリスを恐れないであらうし、ソヴェトを恐れないであらう。しかしまた我々はイギリスを侮つてはならないであらうし、ソヴェトを侮つてはならないであらう。問題は世界の秩序を如何に構想するかといふことである。世界の秩序の構想なしにはイギリスに対することもできないであらうし、ソヴェトに対することもできないであらう。世界の秩序を構想することは東洋の秩序を構想するためにも必要である。
 世界は新しい秩序に向つて動いてゐる。支那事変もその運動の一つの現はれであると見ることができる。この事変の主体たる日本は、東洋に新しい秩序を齎さうとする日本は、世界の新しい秩序について構想を有しなければならぬ。この新しい秩序の構想において持つ国と持たざる国といふが如き原理で果して十分であるか否か。
 支那事変は東洋の片隅における事件に止まらないであらう。「東洋歴史の新しいページ」はやがて「世界歴史の新しいページ」となり得る可能性をもつてゐる。現存する世界の秩序はいづれにしても崩壊すべき運命にある。しかし如何にしてか、また如何なる新しい秩序に向つてか。世界歴史の問題が単にいはゆる大英帝国の没落といふが如きことに止まり得ないのは、東洋歴史の問題が単に蒋介石政権の没落といふが如きことに止まり得ないのと同様である。

        (十二月二十一日)