支那語の学修

 支那語を中等学校の正科に入れよといふ意見が盛んになつてきた。今度北支から来朝した文化使節などもそれをいつてゐるやうである。たしかに支那語の普及は日支親善の一つの基礎として必要なことである。
 由来支那人は語学に堪能であるらしい。西洋人は、日本人と支那人とを区別するのに、英語なりフランス語なりを流暢に話すかどうかを一つの標準としてゐる。そこで日本の留学生は、外国語が達者に話せるのは亡国の民の兆しであるなどと負け惜しみをいつたりするのである。日本の中等学校の正科として支那語を教へるよりも支那の国民に日本語を学んで貰つた方が近道であるかも知れない。尤も、それだからといつて、日本人が支那語を習ふ必要がなくなるわけではない。
 わが国の中等学校では古くから漢文が正科として課せられてゐるのであるが、その漢文を支那語で教へるのが好いといふことは、すでに以前から若干の支那学者によつて唱へられてゐることであり、私も嘗て本欄においてそのことに解れたことがある。今日、支那語の学修の必要が叫ばれるやうになつたとき、更めてそのことを考へてみる必要があらう。古典的な漢文と時文とは同じでないにしても、そのことは支那語の学修にも十分に役立つやうになし得ることである。
 いつたい日本では昔から漢文が書かれ、漢詩が作られてきたのであるが、いざそれを読む段になると、せつかく平仄を合せて作つた漢詩にしても支那語でなく、返り点を附けて日本流に読んでゐる。これでは立派な漢文や漢詩を書くことを学ぶのも難しい筈である。またもし日本流に読むのならは、最初から日本流に書き下してをれはよかつたわけで、さうすれば土井晩翠流の新体詩など、明治を待たないでずつと早くから日本において発達してをり、今日詩といはれるものの日本文学史における地位も変つてゐたであらう。
 日本人が漢文を書きながら日本流に読んだといふところに、日本文化において占める支那文化の地位が窺はれるとともに、日本文化そのものの性質が察せられるやうである。悪くいへば、日本人は我が強いので、そのために語学を学ぶことも下手であるといへるし、善くいへは、そこに日本人が亡国の民とはならない強さがあるともいへるであらう。
 しかし今日では支那語が我々にとつて有する意義も変つてきた。そこにまた日本の文化そのものが変つてゆかねばならぬ理由も考へられるのである。         


(十二月七日)