文化工作の前提

 先般の議会において近衛首相は一議員の質問に答へて、対支文化工作の必要を述べた。私はこの首相の意見に賛同し、かつ重要性を認めるものである。
 現在戦闘が継続中であるのに、何の文化工作の必要があらう、と云ふ者もあるかも知れない。しかしこの戦闘の目的が支那を滅ぼしてしまふことにあるのでなく、却つて日支の提携を新たに建てることにあるからには、戦闘における一歩前進は同時に文化工作における一歩前進でなければならぬといへる。
 文化工作の根本問題は如何なる思想を基礎として日支の提携を実現するかといふことである。その場合、先づ抗日思想を絶滅しなけれはならぬと云はれるであらう。まさにその通りであるが、しかしそれは寧ろ戦闘の目的であつて、文化工作はそれに止まることができぬ。文化工作を進めるには、一旦自分を支那の立場において抗日思想の意味を考へ、彼の立場をも包括し得るやうな博大な思想をもつことが必要である。従来のやうに日支親善といふ言葉を抽象的に繰返すのでなく、具体的な内容を有する積極的な思想を用意することが問題なのである。
 支那の抗日思想に対するに日本が敵支思想をもつて臨むだけでは足りないのは云ふまでもなからう。戦闘のためには敵支思想も必要なことは明かであるが、絶えずそれ以上のものをもつことを忘れないのでなければ、終局の目的である日支親善は実現されない。
 国民精神総動員の主要な目的が国民をして堅忍持久の覚悟を堅めしめることになければならぬことは、かの議会における聖旨奉体東亜安定に関する決議案によつても示されてゐる。そしてそのためには、もとより単に国民をして敵支思想の血を沸かしめるに止まることなく、如何なる思想に基いて東亜の安定が企図されるのであるかを国民に十分理解せしめなければならぬ。今日国民の心の裡には、今次の支那事変が解決したとして、さてその後に何が来るかといふことに対する深憂が横たはつてゐることを知らねばならぬ。
 我々が国民精神総動員に望むところは明朗な指導性である。それが国民をして思想的に徒らに窮屈を感ぜしめるやうなものであつては、外に向つて東亜安定の文化工作の発展を期することも不可能であらう。精神運動といふものはとかく遣り過ぎになりがちなものである。今次の支那事変こそ日本の思想が単に「日本的なもの」に止まり得ないことを最も明瞭に要求してゐるのである。

(九月十四日)