大なる覚悟
我方の不拡大方針にも拘らず、支那側の無反省に依り事変は遂に拡大するに至つた。今や日本は未曾有の非常時に際会してゐる。我々は真に挙国一致の実を挙げ、時難の克服に当らなければならぬ。もとより挙国一致は附和雷同と同じでない。我々はつねに冷静な且つ真摯な態度をもつて時局に対処しなければならぬ。
かの日露戦争当時、今の西園寺公が政友会議員総会において「挙国一致と附和雷同」の異る所以を論じ、妄りに政府に盲従しつつあつた議会に対して警告したことは記録に値ひする事実となつてゐる。即ち公は、今日の要は各々その立場に依り分に応じて真面目に行動することにあると説き、当時の政府の施設を端的に評し、例へば「銀行救済問題の如き如何なる感触を国民に与へたか、これは軽々に看過すべきではない」と論じ、徒らに戦勝に酔うてその職責を忽せにすべからざる所以を喝破したのである。
ここに銀行救済問題といふのは時の政府者が一部金融資本家と結託して「財界の信用維持」の名のもとに六百万円といふ巨額を責任支出の違憲処分によつて大阪の第百三十銀行に貸与したといふ事件であつた。
我々は絶えず歴史から学ばなければならぬ。もちろん日露戦争当時と今日とでは諸般の事情は大いに違つてゐるであらう。しかし違つてゐるとすれば、どう違つてゐるかを具さに観察することは、時局に対する認識を深め覚悟を固める上に大切であらう。
我々は当時における第百三十銀行事件、旭川第七師団兵営建築費に関する不正事件等を想起することを好まない。しかし西園寺公のかの警告は教訓的である、挙国一致と附和雷同とを混同することのないやうにすることが肝要である。近く再び臨時議会が召集され、画期的な諸法案が提出されようとしてゐる。「挙国一致」といふ美しい名に陰れて政党がその職能と立場とを抛棄することのないやうに希望されるのである。
今や国民は、或ひは国防献金に、或ひは出征兵士の家族救護に、非常な熱誠を示してゐる。政府から説かれる前に、求められる前に、国民は愛国の純情と奉公の赤誠とをもつて時局に処してゐるのである。政府も政党もその責任はいよいよ重いといはねばならぬ。国民も固より大なる覚悟を要する。挙国一致の内容についても深い思慮がなけれはならず、銃後の護りの意味も決して単一であり得ない。各人が時局に対する正確な認識をもち、聴明に、冷静に、真摯に、自己の職責を尽し、持久力を養ふことが大切である。
(八月十七日)