単純化と綜合化
物価騰貴が次第に深刻な問題になつてきた。これに驚いて政府では物価対策委員会を設置することになつたといふ。物価騰貴はしかし孤立した問題でない。増税はインフレーンョンと、インフレーションは物価騰貴と、そして物価騰貴は再び増税と、なにもかも互に関聯してゐる。だから問題は綜合的に解決されねばならず、ただ綜合的に解決されるのほかない。
ところで近年政府の遣り方を見ると、こちらで火の手が上つたといふので機関を一つ作り、あちらで火の手が上つたといふのでまた機関を一つ増すといふ有様だ。これが非常時の光景であらうか。現に企画庁を始め、林内閣によつて新設される予定の機関も一、二に止まらないやうである。何処に全体を締め括る力があるのか分らない。この頃の機関の増設は却つて全体的な「計画」の、従つて真の政策の無いことの現はれであり、改革の統一的な「思想」の無いことの証拠である。庶政一新とはただやたらに官吏を殖やすことであるといふやうな印象を国民に与へてゐるといはれるのも無理はないであらう。増設は誰にも容易にできることである。庶政一新の実力とはむしろ単純化への能力を意味するであらう。庶政一新の掛け声以来の業績を一度清算してみて然るべき時期である。
問題はなにもかも関聯してゐる。すべては綜合的に解決されるのほかないとすれば、種々雑多な機関を統一することが要求されてゐる。統一するとは或る意味で単純化することである。複雑であつては統制の機関となり得ず、却つて自分自身の統制される必要が生じてくる。もとより統制は単なる単純化でなくて同時に綜合的であることが要求されてゐる。
林内閣と共に広義国防は狭義国防へ移行したといふ。もちろん国防第一主義がやめになつたわけではないであらう。広義国防は本来綜合的なものである。そのうちには国民生活の安定も含まれてゐるし、外交の調整も含まれねばならない。従つて広義国防の観念は、その外観においては極端な国防第一主義であるかの如く見えるにしても、実質においてはむしろ国防と国民生活の安定等々との間の調和が綜合的に企てられねばならぬわけである。狭義国防への「後退」といはれるものこそ、却つてそれ以上に極端な国防第一主義となり、政治の綜合性を破壊する危険を有し得ることに注意しなければならぬ。
機関の単純化と政策の綜合化 ― この原則を忘れて庶政一新はあり得ない筈である。
(五月四日)