国民の立場
国民の立場から考へると、今度の選挙は不可解なものである。すでに議会の解散そのものに不可解なところ外あるのみでなく、この選挙が何を意味するかも不可解である。選挙は次第に意味の曖昧なものになつてゆく傾向がある。
常識によると選挙の結果は無産党が進出するであらうが、やはり民政党と政友会とで多数を占めるものと考へられる。実際にかうなれば、政府はいつたいどうするのであるか。政党が粛正されなければ政府は再解散を行ふといふ口吻である。粛正とは政府の意の儘に動くことであるか。もしさうであれは、政党存在の意味はない。政党は再解散を恐れて政府にただ聴従することになるであらうか。政党が解散を恐れる大きな理由が、選挙には金がかかるといふことにあるのは政府も承知してゐる筈である。してみれば政府は政党を結局金の問題で威嚇してゐるわけであらうか。
この解散は政党に対する懲罰の意味を有するといはれてゐる。確かに政党には懲罰に値するところがあつたであらう。しかし選挙後において再び解散が行はれることになるとすれば、今度はそれらの議員を選出した国民に対する懲罰の意味を有することになるのであらうか。しかも国民は政府のいはゆる新党が出来ない限り、かやうな懲罰を免れるためにどうすれは好いのであるか。政府は選挙後において新党が出来ることを期待してゐるといはれる。もしかやうなことになれば、議員は選挙民を欺瞞したことになり、政党を堕落させるものは政府自身であるといふことにならないであらうか。
この際政府は策を弄すべきでない。林首相初めみづから立候補して新党を名乗るべきである。かやうな新党も作らないで選挙に臨むこと自体が選挙における国民の立場を無視したことである。選挙によつて政党
― いはゆる新党即ち政府党をも含めて ― を懲らしめ得る立場にあるものは、政府でなくて国民である。政府は政党を懲らしめるといつても、もし政党が政府の意のままに動くならば、その政党が果して国民の意志を代表してゐるかどうかなどは問題にしないのではないか。国民大衆を代表する政党は政府の欲してゐるやうな「新党」であり得るであらうか。
(四月六日)