**大衆の良識**
昭和12年3月23日 讀賣新聞夕刊 「一日一題」 三木清
近代哲学の父デカルトの革命的な書物『方法論』が出版されてから三百年、ことしはその記念の年に当つてゐる。今日においても散文の模範とせられるこの美しい書物は、単にフランス人のみでなく世界のあらゆる国民の教養の基礎となるべきものである。
当時の文化史を顧みるならば、この哲学的著作が自伝の形式をもつて書かれたといふところにすでにヒューマニスト・デカルトが見られるであらう。更に彼はこの書物を当時の特権的教養階級の用語であつたラテン語をもつてでなく彼の国の一般市民の言葉をもつて書いた。これはその時代の学者の習慣に対して全く革新的なことであり、ここにもデカルトのヒューマニズムが認められる。彼の云ふところに依れば、古人の書物をしか信じない人々よりも自分の純粋な自然の理性もしくは良識をしか用ひない人々が一層よく彼の思想を判断することができる、と彼は考へた。すべての真の改革者がさうであるやうに、彼はその哲学的革新を教養ある専門家にでなく、大衆の良識に訴へたのである。
教養人はとかく伝統に縛られ、専門家は専門的或ひは職業的偏見に囚はれがちである。教養や博識は彼等をして「良識」を失はしめ易い。彼等の持内に留まり、彼等に気に入ることを求めてゐる限り、革新は困難である。それ故に真の改革者は専門的職業人の教養よりも一般市民の良識に信頼するのである。デカルトは、かやうな良識もしくは理性即ち「真と偽とをよく判断し識別する能力」は、世の中の物のうち最もよくすべての人間に分配されてゐる、と記してゐる。
職業的哲学者や哲学青年に気に入ることを考へて書く哲学者は真の改革者とはなり得ないであらう。文壇人や文学青年ばかりを相手にして書いてゐては、文学における真の革新は望まれないであらう。真の改革者であらうと欲する者は大衆に信頼すべきである。しかし信頼すべきは大衆の良識であつて、もとより一時の人気といふが如きものではない。
これは単に文学や哲学のことに限らない。政治においても同様である。大衆の良識に信頼して改革を行ふ政治家こそ今日最も待望されてゐるのである。
(三月二十三日)