対外文化の国内問題

 某私立大学の関係者から聞いたところに依ると、この頃支那では日本の「大学」の評判があまり好くないといふことである。そのわけはかうだ。
 最近支那の大学では、厳選方針を採つてゐるといふこともあつて、十人に一人の割合でしか入学できないやうな状態であるが、そのために学生の質は善くなつてゐる。日本へ来る民国留学生にはこの自国の大学へ入ることのできないやうな頭脳の者が多く、しかも日本の某々私立大学においては殆ど無試験で彼等を入学させてゐる。そして授業料を払つてゐさへすれば、無事に免状が貰へるのである。かうした結果、日本の「大学」の価値は次第に失墜してゐる。
 ついでに同じ人が話してゐたところに依ると、日本へ来る留学生の中でも優秀な者は支那の各省政府などから学資が出てをり、外務省の対支文化事業部から補助を受けてゐるやうな者はあまり優秀な学生でなく、かやうなことからも日本の評判は好くないといふことである。
 もし右の如き事実があるとすれは、日本の対支文化政策上大いに反省を要するものがある。
 私立大学の或るものが単に授業料を目的として質を選はずに支那人を入学させてゐるのは、それが営利会杜化してゐる一つの証拠であるが、その経済状態のあまり好くないことを示してゐる。いつも議会の季節になると、私立大学では政府の補助金の増額運動を行つてゐる。近年日本文化の対外宣伝のために政府は莫大な金を使つてゐることを考へると、支那において日本の「大学」の評判を好くすることなど、日本文化の宣伝にとつて差当り最も大切なことである故に、その点から私立大学の補助金を増額する理由もあるわけである。外国は日本の外にあるものとばかり考へてはならない。外国は日本のうちにもある。それが今日の世界の状態なのであつて、日本文化の対外宣伝などといつても外ばかり見て内を善くすることを考へなければ、その宣伝は片端から毀れてゆくのである。
 尤も、私立大学自身の立場としては、政府の補助金ばかり狙ふボロ会杜の真似をして貰ひたくないものだ。現在すでに一、二万円の補助金のために私立大学の独立性がずゐぶん失はれてゐるのである。それとも私立大学精神などといふものはやがて全く消え去るべき運命にあるのであらうか。最近においても京都の同志杜では御時世のために「新島精神」がなくされたといふので問題を起してゐるやうである。


(三月九日)