文政の一貫性

 現代の統制思想の特色は政治の計画性を重んずるところにある。議会主義の排斥される理由の一つも、それが政治の計画性にとつて不都合であるといふことにあるであらう。
 勿論、計画そのものが情勢、とりわけ国際情勢の変化に応じて変化し、発展すべきことは当然である。これは外交や経済などにおいて特に著しく、政策の柔軟性を必要ならしめる。自主的外交といつても、国際情勢の変化を無視することであつてはならず、国際的孤立に対する美名に過ぎないやうでは困る。
 今日わが国において最も計画的に実行されてゐるのは軍備拡張である。反対に最も非計画的なものはといへば、先づ文政に指を屈せねばならぬであらう。例えば学制改革の如き、いつも云はれてゐて今に行はれない。審議会とか調査会とかは入替り立替り作られるが、大臣の替るたびに無駄になつてしまふ。平生前文相が計画した義務教育延長案の如きも、林内閣では撤回したと伝へられたかと思ふと、再提出されることになつたといひ、その議会通過に対してどれほど熱意があるのか明かでない。すでに数代の大臣を経てなほ未解決の帝国美術院の問題等に至るまで、文政に一貫した方針のないことを示してゐる。ところが教育及び文化に関する政策ほど、一貫性を必要とするものはない。しかもそれは経済や外交などとは違つて世界情勢の変化から比較的独立に計画され得るものなのである。
 我が国の教育がかやうに一貫性を欠いてゐるといふことは、教育に自主性が乏しく、容易に政治化され、政治の悪影響を受けるといふことの一つの原因である。その結果、教育についての実質的な改善は行はれず、名目的なことばかりが喧しくいはれる。いはゆる思想問題の如き、教育を名目化して、非実質的ならしめてゐることが多い。教育が政治に影響されるのは当然であるとすれば、逆に政治は教育であるといふ考への徹底される必要がある。
 文政に計画性が乏しいのは、由来文部大臣が伴食大臣といはれるやうな位置にあり、且つ彼等がたいてい文政については素人であるといふことによるであらう。そこで文部大臣は現在の軍部大臣や司法大臣などの如く部内から出すが好いといふ意見も生じてくる。だがこの点には寧ろ全般的に考へ直さるべき問題がある。部内から大臣を出す結果は国家の政治が知らず識らず職業意識乃至職業思想に左右されるやうになる危険が尠くない。またそれは政治の計画性に含まれねばならぬ政治の綜合性を害し易いのである。


(二月十六日)