非常時と民主性
尨大な予算、外交の行詰り、また支那の動乱、等、非常時の感はいよいよ深い。ところで非常時といふ言葉が現はれて以来、我が国の政治において次第に著しいのは、民主的性質が失はれたことである。
非常時と民主性とは一致しないか。一見それらは一致しないかのやうである。だが非常時こそ大衆の協力を最も必要とする時であらう。その意味で非常時は最も民主的でなければならぬ時である。下からの挙国一致に基かない非常時政治、真の国民外交でない非常時外交の如きは、非常時を克服しないで、却つて非常時をますます非常時たらしめる危険が多い。
非常時は権力を必要とする。従つて民主的であり得ないと云ふであらう。しかし権威を有しない権力は暴力に等しい。権力の構成は大衆性を基礎として考へられる。権威を有しない如何なる権力も、結局において大衆に対抗し得ないことは、人口が国力の重要なものであると主張する者の誰よりもよく知つてゐるべき筈である。
非常時は英雄を必要とする。従つて民主的であり得ないと云ふであらう。だが真の英雄は民主的なものである。その背後に大衆が控へてゐないやうな英雄は英雄でない。英雄と預言者とは異つてゐる。預言者はその時代を超えて民主的でないであらう。哲学者は時に預言者であり得るとしても、政治家は政治家としては預言者に属することはできぬ。
ファッシズムは真に民主的であり得ないにしても、ムソリーニやヒトラーは、たとひ擬装的であるといはれるにせよ、ともかくそのファッシズムに或る民主性を装はさせてゐる。今日の我が国の政治を官僚ファッシズムと評する者もあるが、民主性を擬装する必要をさへ感じないところに、このものといはば英雄ファッシズムとの相違がある。あの「擬装的挙国一致」といふことでさへ、今日もはや不必要とされつつあるやうに見える。
民主性の名のもとに単なる自由主義を考へてはならぬ。事実としても、理論としても、言論の無制限な自由といふが如きことは認められないであらう。問題は、単なる自由でなくて寧ろ権威である。だが大衆性を離れて権威は存しないのであつて、大衆の意志の現はれるためには言論の自由が許されねばならぬ。非常時は深化する。非常時と民主性とは矛盾するかの如き錯覚に陥らないことが肝要である。
(十二月十五日)