保健問題の深刻性

 壮丁の体格、学生の健康の年々低下しつつあることが統計によつて示されてゐる。これは今日最深の憂ひである。この問題について関係各省が協力して衣食住の各方面に亙り調査を遂げることになつたといふのは、ともかく悦ぶべきことである。
 この問題はど(とまでも具体的に、広い視野において考察されることが必要であらう。青年の健康状態は国民文学の健康状態と関係があり、国民の健康状態はその生活状態と関係がある。従つて問題は国民の生活向上の問題にまで溯つて考へられねばならぬ。青年の保健問題もそのあらゆる面において「国民生活の安定」といふ今日最も深刻な問題に接しつらなつてゐる。
 現代青年の頽廃については屡々語られてきた。それは主として精神の頽廃の意味において語られてきたのである。しかし我々はそれが単に精神の頽廃でなく、また肉体の頽廃であることを知らねばならぬ。健全な肉体に健全な精神は宿るとすれば、肉体の頽廃から精神の頽廃が生じたのであらうか。頽廃は精神と肉体との別を知らない、そこに現代の頽廃の深刻性がある。頽廃において精神と肉体とを区別しなかつたところにニーチェの洞察が存した。
 現代青年の現実主義についても屡々語られてゐる。彼等における東洋的な明哲保身の思想の復活も指摘されてゐる。しかし我々は次第に悪化してゆく彼等の健康状態においてそのやうな現実主義の限界を認めねばならぬ。彼等の現実主義にも拘らず彼等の頽廃は遥かに深刻である。逆に云へば、今日の青年について非難もしくは称賛される現実主義または東洋的智慧はそれほど彼等の身についたものでなく、考へられるよりも遙かに表面的であり、皮相的である。そこに我々は現代青年が依然として一つの新しい世代であり、彼等には新しいイデーが必要であることを知り得るのである。
 近年いはゆる非常時にふさはしく総ての機関を動員して青年の訓練が行はれてゐる。しかしその指導方針がどれほど有力であつたか、年々悪化してゆく青年の健康の一事を考へてみても、甚だ疑問になるであらう。肉体の頽廃と精神の頽廃とは分つことができぬ。社会に希望があれば人間も健康になる。自己の使命の確信があれば肉体の力も出てくるものである。いはゆる非常時意識が却つて青年の肉体の頽廃にとつてその原因となつてゐはしないかが危まれるのである。そこにまさに今日の保健問題の深刻性が潜んでゐる。


(十月十三日)