思想のない政治
政治は面白くない―かう云つても、我が国では問題なしに当然のことのやうに考へられる。このやうに政治が面白くないといふ理由の一つには、我が国の政治に思想がないといふことがあるであらう。
現内閣の成立根拠はいはゆる「時局認識」であつた答だが、その時局認識の思想が如何なるものであるか、今もつて明かになつてゐない。最近政府は種々の政策を挙げてゐるにも拘らず、政治が依然として甚だ不透明で、鬱陶しく感ぜられるのも、そのやうな政策を指導する思想が明瞭でないためである。否、政策の思想性を故意に蔽ひ隠さうとしてゐる場合も見られるのである。
思想のない行動はその場かぎりの不徹底なものになり易いのは勿論、公共性を欠いたものになる。思想性は公共性の要素である。最も公共的であるべき性質の政治が公共性を欠いてゐるといふところに、国民が政治に対して興味の持てない理由がある。
尤も、どのやうな人間の行為もその人の信ずる神が何であるかを現はすと云はれるやうに、思想のない或ひは故意に思想を避けようとしてゐるやうに見える政治のうちにも思想が現はれてをり、従つてそれを思想的に批判することが大切である。その思想性を追求することなく、個々の政策にいはゆる是々非々主義をもつて対してゐると、思はぬ誤謬に捲き込まれることになる。これは文学者や美術家を始め、政治に素人である一般人の近頃特に警戒を要することであらう。
思想のない政治が無数の無性格な人間を作り出してゐる。今日の人間が無性格であるのは思想を失つたためであり、そしてそれは思想のない政治のうちに一つの重要な原因をもつてゐる。生活に思想はいらない、日本人は思想がなくても生きてゆかれるやうに云はれてゐた。しかし現代人、特に現代青年の無性格は、もはや我々も思想なしには生きてゆかれぬことを示してゐる。政治の思想性が今日特に問題でなければならぬ。
文学の思想性については従来繰返し論ぜられてきた。思想のある文学を、といふことは今日の一般的要求となつてゐる。然るに思想のある文学は、政治に思想がない限り、社会人の生活そのものに思想がない限り、生れてくることが困難である。文学についてのみ思想性を問題にしても、抽象的に留まらねばならぬ。
(六月三十日)