明治の再認識



 文教一新の立前から平生文相は、義務教育八年制の実施とか、学術局の設定とか、いろいろ計画を立ててゐるとのことであるが、さてその財源はと云ふと、なかなか問題であらう。ただ現代美術館の設立は、その基金の一部を民間からの寄附に求め得る性質のものである故に、これだけは平生文相の事業としてぜひ実現して貰ひたいものである。
 現代美術館の設立は国民の年来の希望である。このやうな希望が広く存在するといふことは、次の事実に基くであらう。即ちそれは、
第一に、明治以後における日本の藝術がそれ以前の藝術と性質的に違つた新しいものであるといふこと、
第二に、このやうな新しい藝術が我が国においてもはや一つの伝統となり得るまでになつたといふこと、
第三に、今日の人々がこのやうな新しい伝統をすでに伝統として尊重し、その意味を新たに認識する必要を感ずるに至つたといふこと、
を前提してゐるのである。
 このやうな事実は、我々の眼を美術の世界から文学の世界へ向けるとき、容易に認められる。あの円本時代を一転期として明治大正文学の全集物の刊行が盛んになつたが、その原因のうちには、国民が明治大正の文学を一つの伝統として、即ち「新しい古典」として尊重し、再認識し始めたといふことが含まれるであらう。いはゆる愛国者は、我が国民はつねに西洋の新しいもののみを追うてゐる、と云つて慨歎する。けれども事実はさうでなく、我が国民は彼等の考へるよりも遙に健全であり、この頃の日本主義が唱へられるに先立つて、民衆は明治大正の文化を一つの尊重すべき「伝統」として顧みることを知つてゐたのである。
 近頃、明治時代のことは何でも悪く云ふのが一種の流行となつてゐる。併し国民の常識は、明治以来我が国の文学が、西洋文学との接触によつて、独自の、日本的な、新しい古典を作り出したことを知つてをり、この新しい伝統の意味を考へ直す必要を感じてゐるのである。
 文学の場合には現代美術館に匹敵するやうなものを各人が自分の家の中に手軽に作り得る便利がある。最近における『鴎外全集』『花袋全集』の刊行など、喜ばしいことである。森鴎外の如き、生前文壇からはディレッタントと見做され、その真価は十分に認められなかつたのであるが、今後その偉大さが愈々分つてくる人であると思ふ。帝国美術院長になつたこともある鴎外が生きてゐたら、今日の美術界において何を考へ、何を為したであらうか。ともかく彼は、我々の現代文学文庫の中で最高の位置を占める人となつた。


        (六月二十三日)