制度と人

 制度が変つても人が変らなければ、真の改革は行はれない。制度は人が作るものであつて、人が変らなければ制度も変らない。併しまた制度が人を作るのであつて、制度が変らなければ人も変らない。
 どのやうな制度も、それが現存する限り、それを支持してゐる人間がある。現在の制度は全体としてブルジョワに支持されてゐるといふところまで云はなくても、現有する個々の制度には、それによつて生活し、それと利害を共にする人間が結び附いてゐる。彼等はその制度の廃止や縮小を欲せず、却つて反対のことを願つてゐる。制度の改革はかやうな人的要素の問題を無視し得ない。
 行政改革とか学制改革とか、制度の改革が最近の題目として唱へられてゐる。ところが実際は、かかる制度そのものの改革については問題はなく、問題はむしろ制度に結び附いてゐる人間である。制度の改革に関する智慧は欠けてゐないであらう、改革を困難にしてゐるのは人的要素である。
 先年拓務省を廃止しようとしたとき、その官吏の反対に会つて中止になつた。また先年高等師範学校を廃止しようとしたとき、その教師や卒業生の反対に会つて中止になつたのみでなく新たに文理科大学の如きものを附け加へるといふ結果になつた。これらの例は極めて教訓的である。
 かやうにして制度の改革が唱へられても、調査会に次ぐに調査会を作るのみで改革は一向行はれず、改革といつても母体はそのままにしておいて只新しい瘤を附け加へるだけのことに終るのがつねである。調査会を作るといふこと自体がすでに瘤を一つ附け加へることであり、官吏その他の関係者のために只新しい地位を殖してやることに過ぎぬ場合が少くない。
 それだから根本的な行政改革が行はれるためには、全部の官吏が一度自己の身分を奉還する必要があるとすら考へられる。官吏の身分奉還が庶政一新の前提であるといふ急進的な意見も生じ得るであらう。
 しかしそこに現実的な問題がある。現在厖大な軍事費を予定した上で行政改革を行はうとすれば、それは官吏の生活を脅かす危険を含んでゐる。そして現在他に新しい職業を求めることが困難であればあるほど、自己の犠牲において制度の改革を断行する勇気は失はれるであらう。かくて今日の社会の行詰りが根本的な行政改革を要求すると共に、この行詰りがその実行を困難にしてゐる。ここにも我々は資本主義社会の矛盾を見るのである。改革は根幹に解れねばならぬ。


                                        (六月二日)