暗示の影響



 三原山自殺が一時流行したが、最近にはまた青酸加里自殺が流行してゐる。実にいろいろなことが流行するものである。自殺の意識的な模倣といふわけでもあるまい。何か絶望的な気持に陥つた者が、青酸加里自殺のことを読んだり聞いたりしてゐて、ついそれに暗示され、殆ど無意識的に模倣することになるのであらう。
 人心が不安焦躁の状態にある場合、暗示の力は特に大きい。あの大震災の時に朝鮮人や社会主義者が放火して歩くといふやうなことが真面目に信ぜられたのも、人々が暗示にかかり易い精神状態におかれてゐたためである。今日の所謂邪教の流行にしても、或ひはまたドイツにおけるユダヤ人排斥などにしても、同様の心理を利用してゐるところがなくはないであらう。
 現在のやうな社会状態では、簡単な事柄も種々複雑な暗示を与へ、人心をいよいよ不安にすることが多い。先達て本紙に、日本理科教育聯盟理事長の談として、地方では國體明徴運動に理科教育は不必要だとして見当違ひの迫害を受ける事実を屡々聞くといふ話が載つてゐた。何も文部省あたりで國體明徴のために理科教育排斥をあからさまに唱へてゐるわけではなからう。けれどもこの頃のやうに日本精神作興、智育偏重排撃が無理論に叫ばれてゐては、そのやうな見当違ひの暗示となる危険は十分存在するのである。
 暗示の行過ぎや穿違ひは、暗示が権力者から与へられる場合特に多いであらう。とりわけ平生あまり独立の判断力を働かせることができないやうな状態におかれてゐる者においてはそれが多いのである。例へば俗吏根性といふのがそれで、権力者の一言によつて種々の暗示にかかり、その心をいろいろ忖度して行過ぎたもしくは穿違へたことをして大衆に迷惑を及ぼすことが少くない。しかもこの頃では政党人の或る者までがそのやうな俗吏に似たところがあつて、軍部の意向といふものから種々の暗示にかかり、困つたことをする。
 不安な社会では凡てが暗示になる。このやうな時には愈々明瞭な理論が必要な筈である。ところが実際には却つてただ暗示を刺戟するやうなことが多くなされてゐる。他方明瞭な理論を有する者も明瞭に云ふことができず、単に暗示するにとどめることを余儀なくされてゐるといふ有様である。
 まことに現代は種々の意味において暗示が横行し、暗示によつて不安にされてゐる時代である。


(一月十四日)