一つの日支問題



 伝へられるところによると、日支問題も最近いよいよ重大性を加へてきたやうである。政治上のことはよくは分らないが、日支間に何か事件が起るたびに、私が考へる一つのことは、あの支那人留学生のことである。彼等の数は以前から相当に多いが、特に近年為替その他の関係でますます増加してゐるやうである。先達ても某私実学の学生は、この調子では我々の教室はやがて支那人に占領されてしまふであらう、と云つてゐた。
 ところで、やや不思議に思はれることは、これらの支那人留学生が本国へ帰ると、多くは排日家になり、少くとも親日家とはならないといふ話を、しばしば聞くことである。日本の留学生の場合には、ドイツへ行つた人はドイツ贔屓になり、フランスへ行つた人はフランス贔屓になるのが普通である。尤も、極端な国粋主義者になつて帰つてくる人もあるが、さういふ人は大抵、あちらで神経衰弱に罹つてゐた人だと云はれるくらゐである。
 かくの如きことは日支両国民の国民性の相違によるのであらうか。必ずしもさうだとは考へられない。なぜなら支那人の場合でも、アメリカで勉強した者は親米家となり、イギリスで勉強した者は親英家になることが多いやうに見えるから。
 実際、支那人に対し、我々が外国で経験したと同じやうな親切を示し、心のくつろぎを与へる教授が我々の間にどれほどゐるであらうか。私立大学の如きは、むしろ、彼等留学生をただ営利の対象として取扱つてゐるといふことがないか。かやうなことは彼等にとつては固より、日本人学生にとつても甚だ迷惑なことであらう。この間報道された不正入学問題の如きも、罪は支那人にのみあるとは云へないであらう。
 しかし問題を単に学校内部のことだと考へると、大きな間違ひである。外国へ行くと誰でも敏感になり、身体と精神のあらゆる器官が働くやうになるものだ。留学生は広く社会から影響される。原因は、日本人の世界的大国民としての資格に関係してゐな心か。日本の社会の文化生活の水準に関係してゐないか。我々のところへ学びにきてゐる留学生に日本を真に理解させることができないやうでは、日本文化の海外宣伝も意味がないであらう。かかる宣伝も、依然たる西洋崇拝に基き、その消極的な形態だと云はれても、致し方ないであらう。
 留学生の問題は小さい問題かも知れない。しかしそこに日支問題の一つの大きな示唆がある。我々が真に日支親善の意図を有するならば、先づこのやうな小さなことに関して我々の誠意を示さなければならない。彼等が排日的になつて帰る理由と責任とについて十分反省しなけれはならない。


(十一月十二日)