雑誌文化
今日我が国にどれくらゐの種類の雑誌が存在するか、正確には分らないが、大取次店東京堂で調べたところによると、現在一般雑誌が九百四十七種は発行されてゐるとのことである。実に夥しい数である。しかもこれは東京堂で扱つてゐる雑誌だけで、学会の機関雑誌、文藝の同人雑誌、地方で売出してゐる短歌や俳句の回覧雑誌、商店の宣伝用雑誌などは、この数字には殆ど入つてゐないのである。九百四十七種のうち教育雑誌が最高位を占め、百二種ある。これによつて見ても、教育ジャーナリズムの問題がもつと一般的な関心と批判との対象になることが緊要である。
雑誌は現代人にとつて殆ど必需品となつてゐる。今日の学生は雑誌ばかり読んで本を読まないといふ非難は、私どものよく聞くところである。この非難にも確かに正常な理由がある。しかしそれだけ雑誌が現代人の嗜好に適したものであることも明かである。
雑誌は一般に現代文化の特徴をなしてゐるが、特に我が国の現代文化は雑誌文化として特徴附けられることができる。これはこの文化がその主要な要素においてなほ「啓蒙的」であることを意味してゐる。或ひは啓蒙的といふことが現在我が国の雑誌の大きな特徴である。書物や雑誌の広告が毎日新聞の一面に出るといふことは、西洋では見られない、我が国特有の現象である。かやうなことは、我が国の文化が啓蒙主義的であつて、主要雑誌にしても、毎月、種々の立場における論説、種々なる種類の読物を何でも雑多に包含してゐることからも、必要なのであらう。「雑誌」といふ言葉がまことに適切にその特徴的な内容を現はしてゐる。
日本の雑誌はもつと根本的に我が国の文化の特徴、いはばその随筆的傾向を示してゐると見られ得る。それは我が国では古来西洋的な意味における科学や哲学が発達しなかつた丁度その傾向に相応してゐる。これまで屡々日本人の特徴として模倣性が挙げられてきた。しかしどこの国の文化も外国の模倣を含まないものはなく、また日本文化にしても単に外国の模倣に留まるものではない。私は寧ろ「流動性」が恐らく日本文化の根本的な特質であつて、日本人が模倣を好み、流行を追ふといふやうなこともこれに関係してゐるのではないかと思ふ。雑誌はこの流動性の表現に最も適してゐる。かやうに見ると、雑誌文化は日本の場合特に検討さるべき重要な問題となつてくるのである。
(九月二十四日)