人間の再生
今月(九月号)の諸雑誌は先般の国際作家会議について報告してゐる。それは去る六月二十一
日より二十六日まで三十八ケ国を代表する多数の文学者によつて文化擁護の目的のためにパリで
開かれたものである。この会議がファッシズムを文化の敵として、これに対する闘争を決議した
ことは特に注目すべきことである。
その席で種々の傾向に属する文学者によつてなされた演説のうちジードの演説がやはり最も興
味深い。彼の言葉にはヒューマニズムの精神が溢れてゐる。私は飽くまでフランス人でありなが
ら、飽くまで国際主義者である、私は衷心からコンミユニズムに賛同しながら、飽くまで個人主
義者である、と彼は云ふ。今日は人間を、新しい人間を獲得することが先づ緊要だと云ひ、、そし
て彼は、ソヴェート同盟がその新しい人間を作りつつあることに熱意を寄せてゐる。しかし彼は、
ソヴェート文学において現在作られつつある新しい人間が未だ形をとつて現はれてゐないことを
遺憾としてゐる。永続する藝術作品の中には、単に或る階級や或る時代の一時的要求に応へたも
のよりも、より多くの、より善い内容がある、ソヴェートにおけるプーシュキンの新たな刊行、
シェークスピアの上演等はその一時的意義しかもたぬ無数の出版よりも、文化に対する真の愛を
よりよく示す、とも彼は述べてゐる。
このやうな考へ方はむろん政治的見地からは種々非難され得ることである。そしてその非難に
も道理がある。しかしまた最近ソヴェートでも「プロレタリア人道主義」といふやうなことが問
題になり、さしあたり子供、結婚、家庭等について新しいヒューマニズム的な考へ方が起つてゐ
ると云ふ。
社会的とか歴史的とかいふことを強調するのは重要であるが、それがこの頃とかく、あまりに
政治的な、時事的な見地にとらはれて理解されてゐはしないであらうか。社会的とか歴史的とか
云つても、そのうちにはより永続的な、ヒューマニスチックな問題も含まれるのであつて、かや
うな問題を見逃さないことが文化にとつては大切である。時事問題が重要でないといふのではな
い。ただあまりに時事的な見方が却つて種々なる形態の反動を誘致する危険が感ぜられるのであ
る。
現代ヒューマニズムの根本問題は人間再生の問題である。人間再生などと云へば、政治的な考
へ方をする人々からはあまりに甘い、浪漫的なこととして笑はれるであらう。しかしまた反対に、
一時的な問題に熱中してゐる者が却つて、人間性の真実を知る者からは、あまりに甘い、浪漫的
なこととして笑はれるかも知れない。
(八月二十七日)