外人の日本発見

 軽井沢を始め、この頃の有名な避暑地には、外人によつて開発されたものが少くないやうである。今私の逗留してゐる山中湖などもさうのやうで、外人の避暑客も多く、またこの一帯の風景にもどこか「日本離れ」のしたところがある。近年登山者が頗る殖えた日本アルプス等の如きも、外人によつて初めてその美を発見されたものであると云ふ。
 自然は藝術を模倣するといふのは、オスカー・ワイルドのよく知られた言葉である。自然の美も人間によつて発見される。私どもがいはゆる「日本的な」自然の美とはやや異る新しい自然の美を知るやうになつたのは、徳冨蘆花の『自然と人生』の影響によることが多い。その中の武蔵野の風物を叙した文章など中学時代には暗記してゐたもので、初めて東京へ出てきた私がこの武蔵野の美しさを味ふことのできたのは蘆花の感化によつてゐる。その蘆花にしても恐らくイギリスの文学や藝術の影響を通して関東の平野の美を発見するやうになつたのだらうと思ふ。
 西洋人の発見した自然が近年日本人に好まれるやうになつた大きな理由の一つには、我々の生活そのものが種々の方面において西洋的になつてきたといふことがある。我々の感ずる自然の美の如きも生活と全く無関係であるとは云へないのである。
 自然のみでなく藝術などにおいても、浮世絵の場合のやうに、外人によつて発見されてから日本人が高く評価するやうになつたものも少くないであらう。我々はそのことを必ずしも恥とするにあたらないので、寧ろ外国人を感心させ得る立派なものを我々が所有してゐることを誇りにしてよいのである。進んで考へれば、我々が我々自身の東洋的な眼をもつて西洋のものを大いに研究して、西洋人がこれまで気附かずにゐたやうなものをそのうちから発見することに努めるのが、人類文化にとつて有意義なことであり、またそのことは我々自身の文化の発達向上にも役立ち得るのである。或ひは我々自身が西洋の学問や藝術をしつかり身につけて、その眼で東洋のものを見直すことによつて従来注意されなかつた好いものを発見するやうにしなければならぬ。現に山岳の方面では、日本アルプスの美を西洋人から学んで以来、この種の新しい美を日本人自身が自分の国において到る処発見するやうになつてゐる。
 この頃国際文化振興会などによつて日本的なものを外国に紹介するといふ努力がなされてゐるが、右のやうな事情を考へてみることはその事業にとつても必要であらうと思ふ。

                (七月三十日)