創造への転機



 国民の生活様式の変化が次第に目につくやうになつてきた。それは物資統制や物資節約の結果
であり、また一面物価騰貴の影響でもある。戦争の作用が国民生活の内部に浸透し始めたのであ
る。
 この場合、吾々は戦争の作用に対してただ消極的に我慢することだけで満足すべきでない。こ
の機会を捉へて吾々は進んで生活の合理化を計らなけれはならない。どんな人の生活にも、よく
考へて見れは無駄のあるものである。この無駄が、吾々の生活にとつて負担となり、吾々の活動
の能率を低下させてゐることが多い。節約が合理的に行はれて全般の生活の合理化となる場合、
吾々の活動の能率は増加することになる。節約を単に消極的な意味のものに止めておかないで、
。新しい合理的な生活様式の創造にまで発展させるやうにしなければならぬ。
 無駄があるところに美しさがあると云はれるかも知れない。合理化は生活から美を奪つてしま
ふやうに見える。しかしながら贅沢を美と考へるのはブルジョワ的な観念であつて、このやうな
観念こそ否定されねばならぬものである。新しい藝術が合理的なものの美しさを見出さうとして
ゐるやうに、新しい生活は合理的なもののうちに美を発見しなければならない。それはもちろん
単なる節約によつてできることでなく、節約が新しい生活様式の創造への時機になることによつ
て初めて可能である。
 到るところ創造が要求されてゐる。物資が欠乏したからといつて、原始的な生活に還ることが
問題であるのではない。もちろん文明といはれるもののうちには余りに不自然で健全な生活を害
してゐるものもあるのであつて、かやうな場合には原始的なもの、自然的なものに還るのが好い
ことである。しかし一層重要なことは、戦争のために欠乏した物資に代り得るものを新たに作り
出すといふことである。さもなけれは生活の貧困化が生ずるのみであつて、合理化は不可能であ
り、生活における新しい美を創造するといふことなど思ひも及はぬであらう。物資の欠乏も単な
る「代用品」以上の新しい物資の発見と発明への契機となることが要求されてゐるのである。
 問題は物資にのみ限られてゐない。戦争の必要とする種々なる統制は、新しい経済秩序の、新
しい社会秩序の創造への転機とならなければならぬ。事変さへ済めば元の秩序に還るかのやうに
思つて、事変の間だけ何とか我慢してをれば好いと考へるのは、事実としても間違つてをり、理想とすることもできない。今度の事変の真の解決の道は「長期建設」にあると云はれてゐる。而
もこの場合建設とは背い秩序をそのまま持つてくることであることができぬ。建設はただ革新に
よつてのみ、即ち新しい秩序の創造によつてのみ可能であり、これによつてのみこの事変が負は
された新アジアの建設といふ使命は達せられるのである。
 戦争が破壊的であることは否定できない。破壊を創造への時機となし得るか否かによつて戦争
の意義は定まるのであり、そこに吾々の責任が存してゐるのである。   
(七月三十一日)