文化発達の契機
一国の文化の発達にとつて他国の文化の影響が重要な関係を有することは歴史の示す事実である。孤立しては何物も発達し得ない。日本の文化も、旧くは支那及びインドの文化から、近くは西洋の文化から影響されて発達して来たのである。
しかるに日本の場合特徴的なことは、日本と諸外国との間における文化の影響の関係が従来殆ど全く一方的であつて、相互的でなかつたといふことである。即ちこれまで日本の文化は、東洋の範国内においても、支那やインドの文化から影響されたが、逆に日本の文化がインドはもとより支那の文化に同様に影響したといふことはなかつた。影響は一方的であつて相互的でなく、真の意味における文化の交流が存しなかつたのである。そこに東洋文化の統一が西欧文化の統一と同じやうな意味において存在しなかつた一つの理由が見出される。
従来の歴史において日本が殆ど一方的に外国の文化から影響されるに止まつてゐたといふことは、地理的に、政治的に、種々の原因があるであらう。それは文化そのものの上から見ても、日本の文化に特殊な性格を与へてゐる。日本の文化の重要な特色と考へられる純粋性といふことも恐らくそれに基くところが多い。日本の文化は純粋であつても型が小さいと云はれるが、この後の点もまたそれに基いてゐる。
日本の文化が従来の制限を破つて大きなものに発展するためには、それが国外へ出てゆくことが必要である。外国の文化を自己のうちに流れ込ませて蒸溜するに止まらないで、逆に自己が外国の文化の中へ入つて戦ふことが必要である。影響が一方的に終らないで真の意味における交流にまで発展する事が必要である。
そして今、日本はまさにその時期に達したのである。満洲や支那における日本の政治的進出は日本の文化が大陸へ伸びる機会を作つたのであるが、このことは文化そのものの立場から見ても、日本の文化に質的な変化と発展の機会となるのでなければならぬ。
日本の文化を大陸へ伸ばすに当つて、元のままの形でこれを大陸へ移さうとしても成功しないであらう。日本の文化自身がその際大陸に適応するやうに質的な変化を遂げねばならず、しかもこの変化が質的な向上発展であることが要求されてゐるのである。日本の文化が今日逆に支那の文化に影響を及ぼすやうになつて玄に東洋文化の統一が可能になるのであるが、そのことは決して単に所謂日本的なものの量的な空間的な拡大といふことに止まり得るものでなく、却つて質的に時間的に変化し発展した新しい日本文化の創造によつて初めて可能になるのである。大陸への進出は日本の文化にとつて重大な試煉であり、しかもそれは根本において新しい文化の創造の問題として過去の如何なる日本人でもなく実に我々の世代の責任に属するのである。
(七月二十日)