学問と人生
学問と人生に就てお話しするに富り先づ学問とはどういふものであるかを考へて見たいと思ふ。
昔から本を讃む事が学問の主要な方法であると考へられてゐた。即ち学問とは讃書であると思は
れてゐたので、これは東洋でもさうであるが、西洋でもやはり中世の学問を考へると讃書が基礎
▲
的な方法であつたといふ事が出来る。支那や日本でもやはりさうであつて、学問をする人間とい
ふのは讃書する人間である0知識階級とは針書人であると考へられてゐたのである0そしてこの
ゃぅに讃書が方法である様な学問忙於ては先づ第一に、俸統といふものが非常に重要な意味を持
ってゐるのでなけれはならない。従つて学問上の古典といふものが讃書の、又学問の基礎になつ
てゐた。此事は他方学問に於て権威といふものが存在してゐたことを意味する。即ち常に絶封的
−
構成といふものがあつて、それに抜る事が学問の方法として重要であると考へられてきた。かや
ぅにして昔から学問をする場合には一定の古典が権威としてどういふ言葉を停へてゐるかを知る
ことが根本であつた。その学問の仕方は一般に中世的な態度といふ事が出来、杜曾的に観ればそ
拳闘と人生
五一九
の杜曾がやはり博統と権威とを基礎にした杜曾であつた事を意味してゐる。
五二〇
中世的な杜曾といふ
ものは東西を問はずさういふものであつた0讃書が学問の方法であるといふ様な考へは、日本の
場合に於ては特殊の事情によつて=疋の特徴を輿へられてゐる。日本の学問上の先輩は支那であ
つたが、日本の学者の大部分は支郡へ行つて直接学んだのではなかつた。交通手段の比較的教達
した徳川時代に於ても幕府の鋳囲政策によつて支那へ渡る事が出来なかつた。さういふ事情に於
て日本の学者が先進国の学問をした竺の方法は讃書であつたのである。風土、地理或は人情其
他、日本とは異る支邪に関する事を直接自分の眼や耳を以て知つたのではなくて、責澄的の基礎
から全く離れて書物を基礎として学問をした0そこにこの学問の不十分であつた原因があるので
あるが、それが侍統となつて明治以後に於ても支軋学者は従来の讃書の方法を頼りにして勉強し
てゐたのである。
併し此の支那学者の方法は、畢に支那学者に止つたのではなく、西洋の学問をするにも用ゐら
れたので、学問の侍統的な方法が讃書であつたといふ事が知らず識らず影響を輿へてゐるのであ
lll一llミ一ll
る0このやうに止翌日が学問の方法であるといふ様な考へ方は今日の日本に於ても錦ほ非常に磨く
iI一・亀
有在してゐるのではないかと思ふ0殊にそれは日本の地理的な條件、印ち地理的に隔離されてゐ
巨告
ヨ
るといふ條件に関係があるので、我々は西洋の学問をする場合にも同じやうにたいてい本を通じ
て知るより他ないといふ事情に置かれてゐる。これは西洋諸囲に於て、例へばイギリス人がフラ
ンスを研究するとか、ドイツ人がイギリスを研究する場合とは達ふことで、我々がよく反省して
見る必要があることであると思ふ。
一般に中世的な拳闘の方法は右のやうであつたが、これに封して根本的な欒革を蘭らしたのが
近代科学である。我々はこの近代科挙の方法をよく岨噂しなければならぬ。近代科挙は讃書を方
法とするのではなく、寧ろ賓験を基礎とするのである。近代科学の創始者、建設者である析のガ
リレオの有名な言葉に、自分はアリストテレスの本を樺威とするのではなくて、自然の書物を讃
む事に努力するといつてゐる。即ち請書により侍統的な権威に従つて研究するのではなく、事賓
に直接ぶつかつて賓讃的に研究して行くといふのが近代科挙の方法である。そこに中世的な学問
に封する近代科挙の根本的な欒革がある。勿論、賓験といふのは、軍に経験に頼ることではなく、
賛験する為めには一定のアイディア、一定の思想がなければならない。経験をただ輿へられた俵
受動的に受取るのではなく、一定のアイディアに基いて経験を揉作する事により経験を経験して
行くといふのが賛験である。徒つて一方に於ては論埋とれ理論kかが重曹な意味を持つてゐる。
学問と人生
五二一
五二二
此の論理とか理論とかを蓉達させた所に又近代科学の学問としての重要な特色のある事は言ふ迄
もない0併しただ論理的思排が学問の方法で無かつた事は、例へばギリシアの自然哲学と近代科
挙とを比較してみれはよく列る0即ちデモグリース等はアトムを構成要素として世界を機械的に
説明したのであるが、これは近代科挙の到達した結論に類似してゐる。しかるにギリシア的な学
問はそこに固定して何等蓉展をしなかつた0又それが人生或は賓生活に封して有用な結果をもた
らさないで畢つたといふのは近代科挙と異る所である0デモグリース等はその原子論を軍なる哲
学的思排によつて獲得したのである○近代科挙はそれを賓故によつて確定して行つたといふ所に
大きな特色がある0そこに近代科挙がどこまでも進歩して行き、又資際生活にとつて有用になり
得る根接があると思ふ〇一方に於てどこ迄も論理的に考へて行く事、他方に於てどこ迄も賓澄的
に経験的にやつて行く事、此の二つのものの統一が近代科挙の方法であることは、多くの人によ
1モ11一・Ill−11
つて既に指摘されてゐる析である。
引シア的な学問は紺枠に知識の馬めに知識を求めることを
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理想としたのに反し、
一一ミ111−
近代科挙は畢に物を知ることでなくて物を作ること即ち技術的な課題と密
接に結び附いて生れた0それが賓験を方法としたのもこれに依るのである。
このやうな学問の精神を理解すe場合、我々は人生と学問との密接な関係を理解することがで
きる。人間の生活は一般的にいへは環境に於ける生活である0我々は環境に邁應する、或は環境
を支配する事によつて生きてゐるので、其の方法として技術がある○例へば山にトンネルをつく
ヽ′....一−
るとか、川に堤防を築く等、技術によつて人間は自然を支配し自然を利用して生活してゐる0人
間は技術的にしか生活出来ない。
これは人間が項填に於ける生活者である事を考へれば極めて明
瞭である。だから技術は人間が存在し放めるや否や存在してゐたのであつて、歴史以前に於ても
存在してゐた。それは先史時代が石器時代、青銅器時代、繊器時代といふやうに、その用ゐた道
具或は技術の種類によつて直分されてゐる事からも知られ得る0かやうに技術は昔から世界の至
る所に於て存在し、東洋に於ても亦もとより存在したのである○そこでその東洋的な技術と今日
の技術とを比較し、従つて又東洋的な生活方法と今日の生活方法とを比較して考へてみることが
重要になつてくる。
近代科挙が出て来る迄の技術は、東洋であると西洋であるとを間はず、一般的にいへば道具の
技術である。之に反して近代の技術は機械の技術である0道具の技術と機械の技術との封立はビ
こにあるかといへば、道具の技術は或る有機的なもので卦るが、機械の技術は全く機械的なもの
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である。道具といふものは人間の身憶に應じて作られてゐて、大工の使ふ整とか飽は人間の手の
学問と人生
五二三
五二四
延長の様なものである0それは手の形とか大きさに應じて作られてゐる。さういふ時代に作られ
た色々の生産物を見ても総て一種の有機的性質を持つてゐる0そこで今日東洋的な科学として注
目されてゐる漢方をとつて見る0これは東洋の科挙といはれてゐるが、併し厳密にいへば科挙と
いふょりも技術である0今日一般に漠然と東洋科挙といつてゐるものは、賓は近代科学の意味に
おける科挙ではなくむしろ技術であるといふ事を理解する必要があると思ふ。漢方、東洋留学な
るものは病気を治すといふことを目的とする技術であつて、適用されるのは人間の身饅といふ様
な有機的なものであり、また用ゐられるものは植物の様な有機的なものである。これは近代腎寧
に於ける薬と比較すると差違は明かであり、近代腎挙に於ては有機的なものよりも無機的なもの、
化学的に作られたものが用ゐられる○漢方の方法そのものは有機的であり、従つて仝憶的で、直
観的であるといふ特色、長所を持つてゐる0併しそれには自ら限界があるので、近代技術の特色
は却つて無機的なものを作り出す所にある0昔の椅とか建築を見てもそれは自然の中へ融合して
ゐる、つまり自然と封立しないで融合する様に作るのを理想としてゐた。自然を模倣するといふ
のがその技術の特色である0従つてまたその技術は極めて嚢術的であるといふ事が出来る。これ
に反し近代の技術は機械的であり、自然と対立してゐる○自然と融合するのではなくして自然を
■
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支配する、自然のうちにないものを蓉明するといふ鮎が明瞭に現はれてゐるC我々の生活環境に
おける技術についての、このやうな差異が人生にとつてまた重要な意味を持つてゐるのである。
人間の生活は一種の技術であるといふ事からして、道徳にも技術的なところがある。修養法と
いふものはさういふ技術的な意味を多分に持つてゐる。しかるにこれまでいはれた修養は道具時
代に相應する有機的な生活技術であつた。それは以前の局限された世界、道具時代の環境に於て
はそれで十分であつた。昔風の修養といふものは生活が固定し、杜禽関係が固定してゐた時代、
有機的な見透しのつく様な世界、一つの閉鎖的な世界に於ける生活技術としては極めて巧妙に教
達したものである。研が今日機械時代になつて我々の住んでゐる生活環境が以前と全く建つたも
のになつてくると、さういふ昔風の修養だけでは足りなくなつて来てゐる。道具時代から機械時
代へ我々の生活環境が攣化すると共にこれまでの修養だけでは不足になつたといふ事責に注意し
なければならない。勿論人間は畢に杜曾的なものではなく、個人的なものであり、有機的な存在
である。さういふ個人としての修養にとつてはこれまでの方法も今日なほ重要な意味を持つてを
り、我々が学はなけれはならないものが多い。
併し、我々の住んでゐる生活項境が機械化された今日では、杜合的な関係も直観的に見透し難
塵「問と人生
五二五
五二六
い複雑なものになつた0信州の山奥に住んでゐる人間がアメリカの経済状態の影響を受けるとい
ふ、かういふ事情に於ては昔風の道徳だけでは足りなくなつて来てゐる。道徳が技術であるとい
つても道具時代の技術と機械時代の技術とでほ根本的な差違がなけれはならない。昔にあつては
生活環境は局限され又安定してゐて、つまり中世的な所謂ゲマインシャフトの中に住んでゐた。
さういふ時代に於ては知識は必要であつても特に知識として獲得しなけれはならない程の意味を
持たなかつた0それはちやうど、昔の道具技術は、成程これを分析して見れば其中に科学が含ま
ヽ11111‡1−!一− 1壬・一11一11一l
れてゐて、どんな技術であつても自然の法則に反して行はれる事は出来ないが、併しさういふ知
識を知識として、
一つの自然科挙として確立したのでないといふのと、
ないが、併しさういふ知
同様である。昔の刀鍛冶
ヽヽ ヽ ヽ
は刀を作る事は上手であつたけれども、それを科挙として把握したのではなく、それはただ技術
\ヽ lヽ −I II l ▲1 1 1、
として侍統的に侍へられたのである。
さういふ時代には道徳においても先組代々停へ
られた観念
で生活が十分出来たのである。
ところが、今日の機械時代になるとその技術には根底に近代科挙といふものがある。それと同
じ様に今日の生活技術、従つて今日の道徳に於ても科学性といふものが必要になつてくる。そこ
で人生にとつて学問をする事が重要な意味を持つ様になる。然もその拳闘は昔風の学問ではなく、
近代科挙によつて確立されたやうな新しい科学性を持つた学問でなけれはならない0勿論近代科
挙といふものは技術的の要求から生れたのであるが、併しただ技術的でなく、純粋に学問の薦め
に学問を求める、理論の薦めに理論を研究する、眞理の馬めに眞理を研究するといふ様な態度に
ょってさういふ科挙は成立した。つまり技術から生れ乍ら一日疫術を否定する事によつて科挙と
して薔達するのである。之に反し昔の技術に於ては学問と技術とが謂はばただ有機的に直接的に
結合してゐた。近代科挙が確立し、その科挙を技術的に利用する事により従来の技術とは違ふ技
術が教達したのである。
っまり融合してゐたものが一旦分離し、然して後に結合する事によつて
迂代技術は沓達した.それと同じ様に今日の生活環境に於て、眞に生活して行く馬めには、人生
をより正しく生きて行く為めには近代科挙を我々の身につけなければならない。これまでの修養
だけでは足りないのである。そこに於て学問と人生とが新しい結びつき方をしなければならない0
さういふ学問は勿論既に述べた様に軍なる讃書によつて得られるものではない。学問の方法とし
て今日も讃書が大切である事は勿論だが、それだけでなく賓讃的に人生の問題を考へて行くとい
ふ態度を近代科挙から学ばなけれはならない。近代科学性を持たない近代生活といふものはあり
得ない。
学問と人生
五二七
五二八
併しまたよく考へて見ると、近代科学といふものを基礎にした近代的世界観、自由主義的な世
界現には限界がある○即ちそれは一種の世界主義、然も抽象的な世界主義である。科学は自然の
一般的な法則を求めるものであるが、さういふ科挙的な、普遍的な、法則的な考へ方だけを基礎
にしてゆくと世界観は抽象的にならざるを得ないのである。
といふのはさういふことによつては
‡一■
人間生活の環境の持つてゐる歴史性を十分に把握し得ない。歴史的なものは畢に一般的なもので
なくて個性的である、個性的なものは特殊的なものと一般的なものとの綜合であるといふ性質を
持つてゐる0ところが近代的な考へ方は、杜曾の問題にしても人間の生活にしても、世界到る所
に於て同じ法則が賓現されるといふ様に抽象的に考へ、それぞれの地域に於ける民族の歴史的特
珠性に注意しなかつた0しかるに、自然物であつてももつと具健也に観察すれば其様に抽象的な
ものではない事が判るので、例へは一本の草、一本の花を見ても各々別な生命を持つた特殊のも
のである0だから蛮術家はこれを自分の垂術として描き得るし、そこから肇術作品が生れる。さ
ういふ意味に於ては自然物も個性的である。勿論それを分析して奥を探れはそこに一般的法則が
薔見される。自然物は種々の法則の緑の
一つの結び目の様なものと考へる事が出来る。併し畢な
・′′\・・.111I
る結び目ではなくて、分解し得ない特殊のものがあり、その意味に於て非合理的なものがあるか
打卜卜
ら個性である。カントの如きも自然の特殊化といつて自然物は一般的法則に還元し得ない濁得の
ものであると考へた。況して人間祀曾、人間生活を見れば一層個性的なものであることが判る.
近代科挙に基礎を置く世界観は一般的な法則の面を見るに急にしてそこから出てくる特殊的なも
のに眼を注ぐに十分でなかつた。自然の中にも一種の嚢術的ともいふべき個性的なものが現はれ
てゐるので、人間の世界に於ても法則的なものに迄行く必要はあるが、併し其事から陛界到る析
に同じ形のものが作られなければならないといふのではなくて、それぞれのものが一種の肇術的
個性的なものであるといふ考へ方にならなければならない。自然の技術は一般的法則を基礎にL
ながら、一本の木、一本の花といふやうな特殊的なものを作つてゆく。人間の技術も同様である。
ものを作つて行く蔑めには、法則の知識が必要である。併し一般的な法則を基礎にして技術的に
作られてくるものはやはり一本の革、一本の蔵といふ様に具慣的な個々のものである。東洋人は
あまりに技術的であつた蔑めに却つて東洋では科挙が蓉達しなかつたとも云ひ得るのであるが、
併しそれだけまた東洋的世界観は具饅的であつた。近代的な世界観と東洋的な技術的、萎術的世
界観との統一が出て来なけれはならない。軍に法則的な一般的な抽象的な考へ方ではなく、さう
いふものの重要性、濁自の意味を認め乍ら、それを基礎として技術的に作られてくるものが個性
出学問と人生
五二九
五三〇
的なもの、垂術的なものでかるといふ考へ方が我々の生活態貯町中にも出て来なければならない.
これが今後我々が獲得すべき新しい世界観、人生観であらうと思ふ。併し技術的世界観といつて
も前にもいつた様に昔の道具時代の考へ方、世界観で現代の人生を解決し得ると思ふのは間違ひ
である。これは我々の生活項境が全く新しいものであるといふ事から明かである。
そこでも少し進んで道徳の問題に入つて行くと、我々の道徳といふものは抽象的に考へらるべ
きものではなく、人間生活の現賓の中から考へて行かねばならない。さういふ夙に現資的に考へ
ると人間の生活は絶て技術であるといふ事が出来る。技術であるといふ事は要するに物を造ると
いふ事である。人間の行為は絶て物を造る行為である。ものを造る鳥めには先づものを知らなけ
ればならない。物の法則を捉へた者のみが物を支配し得る。ベーコンの「知は力である」といふ
言葉、それは近代科挙の根本にある考へである。知識を求めて行くといふ事、それが学問する事
であるが、さういふ学問においては道徳が大切である。例へは学者は眞理に忠貨でなけれはなら
ない0自分の主観的なものを棄てて客観的なものに従つてゆかなければならない。さういふ学者
的良心或は主観的なものを棄てて客観的なものに徒ふといふ心構ぺが重要である事は今日に於て
も攣りはない。どれ程時代が政治的になつたにしても、政治的なものに追随して学者的良心を失
ごら
ふやうな事があつては学問の常連する筈はない。学問の沓達の為めには凡ゆる場合に良心的にな
る必要がある。今日の様に偽善者の多い時にはさういふ良心が学問をする人間に於て大いに強化
されなければならない。併し従来の学者的良心といふものはなほ抽象的であるといひ得る。それ
は恰も近代の自由主義的な世界観が抽象的であると同じ様な意味に於て抽象的であるといひ得る。
それはただ知識の薦めの知識といふ様な立場に止まつて賛蹟と結びつかない1賛蹟七いふのは
一
具憶的には技術的に物を造るといふ事だが、さういふ技術的に物を造る事と結びつかないといふ
惧れがある。知識の虐めの知識といふ事を強調する事によつて賛践から渉離した学問になる危険
が多い。併し近代科挙そのものは根本に於て技術的な課題を追求する事により生れて来たもので
ある。その結果停頓してゐた中世の経済的生産力を飛躍的に蓉展させる様な近代技術となつて現
はれたのである。さういふ技術的、賛成的に物を造るといふ立場が今日の寧閏にとつて必要であ
る。つまり我々の雷面してゐる生活項境に於ける諸問題、さういふ現賓の問題に出番鮎をとつた
科挙的研究が重要であるといふ事になる。研がかういふ現資を基礎にして、我々が酋面してゐる
問題に手掛りを求めて学問を研究して行くといふ態度は日本では十分に番達しない状況にあつた。
それには特殊の事情があつたのである。つまり先進国の学問を書物によつて勉強するといふ事、
拳闘と人生
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讃書が学問の方法の中心であつたといふ事情に基いてゐる。共演めに常面してゐる現賛の問題と
無関係に学問をして行くといふ態度がこれ迄の学者にはあまりに多かつた。西洋の学問をする事
が悪かつたのではなくて、その学問の精神、即ち書物でなくて現資或は事賓にぶつかつて研究し
て行くといふ精紳の理解が足りなかつたのである0つまり近代科挙の賓澄的な賛験的な精紳の理
解に乏しかつたといはなければならない。
技術的な観難から考へれば、いつでも技術は自分の住んでゐる生活環境に組織的に働きかけこ
れを改造して行くといふ性質を持つてゐる0従つて日本で研究さるべき学問は、自然科挙の面に
の間超である0即ち自分の現在持つてゐるものを開香して行くとむふ態度、自分のぶつかつてゐ
於ては日本の持つてゐる資源の開薔、
如何にしてそれを利用して行くかといふ問題が我々の直接
る問題を解決して行くといふ態度がなけれはならない。
これが賓讃的精紳の意味するものでなけ
ればならない○所が日本の科挙がこれまでさういふ事にならなかつたのは自由主義経済の営利主
義に影響されてゐるのであつて、自分の周の科挙や技術の研究に金を出すよりも外囲めパテント
を買つてくる、外国から機械を輸入する事を利益としてゐたので、その蔑めに日本の科学や技術
の番達の遅れたことは砂なくないと思ふ○例へばアメリカから屑繊を冒つて繊を造る方が自分の
珊附H
地下資源を閑番するよりも督利的に一層有利であるといふ理由から日本の製繊所では屑繊の為め
の機械はかりが多いといふ事情にあつた。併し、かういふ考へ方は訂正されなければならない。
そして人生に於ても、現在何になるのが一番金儲が出来るとか、出世が出来るかを目標として
自分の職業を決定すべきではなくて、自分の天から輿へられた素質がどこにあるか、その個性を
見極めてこれを閑香して行くといふ事をしなければならない。商人になるのが一番金が腐るとい
ふので、総ての人が商人になれは日本の囲は成立つて行かない筈である。萎術的な才能を持つて
ゐるものはどれ程貧乏しても自分の萎術的才能を開脅すべきで、つまり自分の持つてゐるもの、
\\\
輿へられてゐるものを基礎にして行く事が大切である。これは仝慣主義の杜合になつても攣りな
いので、人生における根本的な生活態度はここになければならない。これと同じ様に資源といふ
問題に就ても、それぞれの民族は自分の持つてゐる資源を閑薔するのが世界文化に封する貢戯で
ある。自分の持つてゐる資源、それはいつでも歴史的特殊的なものである。さういふものを基礎
にして自分の技術を沓逢させる。そしてその技術に結びついて特定の方向の科挙を肴達させてゆ
く。勿論、此の技術とか科挙とかは近代的な技術、科挙である以上本質に於て世界的な普遍性を
持つてゐるけれども、その歴史性においてはいつでも個性的なものである。さういふ楼な考へ方、
…学問と人生
五三三
五三四
つまり人生に於て自分の個性を開薔することが結局杜曾の薦めになるといふのと同じ様に、科挙
や技術に於ても自分の囲の持つてゐるものを基礎にして、その問題を解決するといふ事が結局世
ヽf
界の文化に貢献する所以であるといふ事を総ての人が理解しなけれはならない。世界で何が流行
つてゐるかを見てそれを眞似て行く事で日本の学問が世界的になるのではなくて、日本の現責に
直面してゐる問題を眞勧に研究する事によつて日本の学問は世界的になり得るのであるし、世界
に頁厳し得るのである○そこからまたしぜんに日本的な学問が生れてくるのである。さういふ考
へ方が人生観的な、世界観的な根本問題として理解され、それから我々の学問する態度が定まつ
て来なけれはならない。
遍γ終漆∵∵転籍由浸らうtでソタl
\
勿論今日の杜曾は決して昔の様に閉鎖的の杜合ではかい。それ怯封建的なゲマインシャフトと
は本質的に異るものでなければならない。それは単に閉鎖的でなくて、同時に開放的でなけれは
ならない0とれ程自分の囲の資源の開番を考へても、共演めに自由主義時代に蓉達した世界主義
的なものが全く無くなる諾ではない0それは一つの園で考へて見ても同じである。例へは封建時
\
● q
代の様に、一つの藩なら藩でaウタルキレ経済が形作られた時代に於ては生産力は十分に番達し
得なかつた0生産力が増大して行く為めにはさういふ杜曾の狭小性が破られなけれはならないし、
又近代科挙はさういふ杜曾の狭小性を破る様な技術を蓉逢させたのである。従つて技術的な或は
萎術的な世界観を考へるに嘗つても、やはりそこは近代科挙の持つてゐる世界主義的方面を考へ
て行く必要がある。併しそれに止まらないで、新しい世界観が作られて行かなけれはならない。
さういふ難から考へても知識の倫傾が問題である。学問の薦めに学問する−学者的良心さへ持
って居れはよいといふ事では不足で、そこに賓頗的な、従つて廣くいへば生活的な面との接解が
なければならないが、併し其為めに学者的良心、科挙の濁自性に封する考へが鈍る様なことがあ
るとすれは、却つて悪い結果を来たす事になる。近代科学が薔達したのは、技術と結びつき乍ら
一旦技術の立場を否定して猫自性を自覚した事によるのであつて、それによつて却つて技術の廣
汎な番展が可能になつたのである。生活と結びつき乍ら、一旦生活を否定して純粋に学問の蔑め
に学問するといふ立場に立つて、眞に生活的な眞に賓践的な技術的な科挙が生れてくるのである。
我々が人生に廃して行く上でも同じであつて、ただ政治に追随するだけでは却つて日本の為めに
ならない。眞の愛囲老は単なる追随着ではない筈であると思ふ。さういふ粘からも生活と学問と
の結びつきには深い反省が加へられなければならないと思ふ。
さういふ夙に考へると、近代的な知識の新しい性質に基いて我々知識階級の新しい生活態度が
革問と人生
五三五
五三六
出て来なければならない。といふのは、封建的な或は中世的な学問の特色は権威と停統にある。
その学問はデモアラチックでなかつた澤である。それは特定の階級の人間に閉鎖された学問であ
り、従つて秘侍、秘義といふものを持つてゐた。研が近代科挙は凡ゆる人間が自分の頭と眼を以
て研究してゆくことができる。デカルトが云つたやうに理性はすべての人間に平等に分たれてゐ
る。これを基礎とする学問には何等の秘密も存しない。それは本質的にデモタラチックである。
j一lIil一l,一.■一一き一l・
かういふデモタラチックな学問は、またそれがデモアラチックになる事によつて、
即ち凡ゆる人
間に行亙る事によつて教達し得る。
つまり科学の普及、大衆化は同時に科学沓展の根底になる。
知識人は、さういふ学問の啓蒙に封して或る程度杜曾的な義務を持つてゐる。さういふ近代科挙
の持つてゐるデモタラチックな精紳、公の性質、何等秘密のない性質が新しい道徳として獲得さ
れなけれはならない。今日の仝憶主義に重要な意味のある事は明瞭であるけれ共、併しそれは近
代デモクラシーを経て来たものでなけれはならない。その以前の封建的なものに還る事であつて
はならない。さういふ意味に於て公明な精紳、公共的な精神が総ての学問をする人間に大切であ
ると思ふ。
此事は廣く杜曾に就ていはれるのみでなく、学徒の組織としての拳固、大学に就てもいはれな
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けれはならない。今日学園の新憶制がいはれてゐるが、その場合近代科学の持つて計る根本的な
性質を考へて行かなけれはならない。近代科学の方法は誰にでも明示し得るもので、観察とか資
放とか推理とかを基礎にしてゐる。さういふ客観的な方法を持つてゐる科挙に於ては、多くの人
間が共働することが出来る、又分業が可能である。大仕掛な共同研究は近代科学に於て始めて可
能になつたのであり、又さういふ共同研究によつて、賓際に学問は拳達しっつある。さういふ共
同の精神が今日の拳固に於て生かされなければならない。学者問の交友、畢生間の交際に於ても
さういふ研がなければならない。研が従来の自由主義的な杜曾の中の一つの杜合としての学校は、
やはり自由主義的な弊害を持ち、学者間に於ても、個人的競争はあつたにしても共同といふ面が
砂なかつた。その上日本では封建的な学問に於ける閥的なものギルド的なものが残つてゐる。こ
れに封しては近代科学の公共的な、デモタラチックな性質に基いて改善が行はれなければならな
い。同時に、自由主義の弊害に封して改善を行はなけれはならない。所が学者がサラリーマンで
あるといふ様なこと、自分の授業さへ一時闘いくらでやつて行けはよいといふ考へ方は、今日の
私立大寧の組織を見れば明瞭である。学生も亦先生を許債するのに、あの先生は俸給がいくらで
あるといつてゐる。新しい共同精紳、封建的なものと異る新しい共同精神を拳固へ生かして行く
学問と人生
五三七
五三入
事が必要である。
自由主義は封建的軋ものとの闘争に於て近代科学を教達させることが出来たが、
享i一一一一ll_
今日に於ては逆にその蓉達を阻害する樫椅になつてゐる。
さういふ鮎に注意して自由主義的な寧
園の組織の改革がなされなければならない。併しただ徒に昔の侍統を復活させることが目的であ
つてはならない0近代科学の精紳を生かし乍ら我々はより高い世界観、自由主義を越えた世界観
ミI
へ到達しなければならない0東洋的な世界観を生かしてゆくにしてもどこ迄もやはり、近代科挙
を通過してくることが必要で、これは飽く迄も強調されなければならない。
ヽミI.I
つかり把握しなければ新憶制も不可能である。
近代科学の精紳をし
これによつて今日日本が要求してゐる技術の蓉達、
生産力の増大、そして杜曾の改革も可能になるのである。
さてこれまで話してきた事を、最後に簡軍に一つの哲学的な問題として考へて見ると、従来の
世界観が法則科挙を基礎にしてゐたのに封して、寧ろ技術的なものに結びついた世界観が生れて
来なけれはならないといふ事は、更に知識の持つてゐる根本的な性質を考へる事によつて理解さ
れる0眞理といふものは灯だそれ自憶においてあるものでなくて表現されなけれはならない。こ
れは昔から、殊にキリスト教に於ては、眞理といふものと言葉といふものとを一つに考へてゐる。
眞理はさういふ様に表現される事によつて具憶的に眞理となる。眞理の慣得者はそれを表現しな
けれはならない。知と行との合一といふ事は眞理そのものが根本的に歴史的なものとして表現的
なものでなけれはならないといふ事を前提としてゐる。従来の認識論においては、眞理は客観的
に存在するもので、
人間がそれを蓉見するかどうかといふ事はそれにとつて無関係であるといふ
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ゃぅに考へた。例へば萬有引力の法則はニュートンが薔見する事とは無関係につねに行はれてゐ
たといふのである。法則科学の立場からいへばそのやうに考へても一應問題は解決する。併し物
を作るといふ技術の立場からいへは一人の人間が出て眞理を掴み、これを学問として言葉に表現
するかどうかは重変であり、それによつて始めて技術的に物が作れる様になる。電気の法則はそ
れが尊兄される前、数千年、教萬年前から存在し働いてゐたが、併しその法則を認識する人間が
出て来た後に始めて我々は電燈をつけ電卓を走らせる事が出来た。そこに文化の根本的な蓉展が
あつたのである。物を作る技術の立場からいへは眞理が人間によつて捉へられるといふ事、それ
が外に表現されるといふ事は決定的に重要な問題となる。科学の〕止場からいへはさうけふ法則は
永遠の昔から存在して働いてゐたといふ事でよい澤である。電燈や電軋の作られる前に電気の津
則は存在して宇宙を支配してゐた。物を作るといふ事は知識を物において具憤的に表現する事で
ある。物の中にある知識は人間のものとなり、そして人間は物を作る事によつて知識を再び物と
寧問と人生
五三九
して物の中へ返す。
五四〇
自然の中にある法則を人間は抽象して自分の知識とし、それを基礎にして、
自然のものと同様のもの、一本の草や木と同じ様に具慣的な物を作り出すのである。さういふ活
動が人類の具憶的な生き方である。
知識の具慣的なあり方であるといひ得る。さういふ夙に考へ
て行くと眞理の表現性、
即ちそれが人間の世界に於てど、γあるかは根本的に重要な問題である。
研が従来の哲学は知識の杜合に於ける在り方を閏超にしないで考へてゐた。しかるに今いつた様
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な立場から考へると眞理の表現性といふことが問題になる。眞理は本来表現的なものである。眞
理に忠資であるといふ事は眞理の表現性を満足させる事でなければならない。眞理はさうして始
めて生きた眞理として人生と結びつくのである0さういふ眞理の根本的な性質を考へる時に人生
と学問とは決して無関係でない事が判る0学問と人生といふ問題湖」劉m封ては眞理の表現性
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を更に哲学的に明らかにして行くといふ問題になると思ふ
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学問と人生について話すにあたり、先づ拳闘とは如何なるものであるかを考へてみなければならぬ.
昔から本を讃むことが学問であると考へられてきた0つまり学問とは讃番であると考へられてゐたので、
東洋ではもとより、西洋でも中世の学問を考へると請書が主要な方法であった。学問をすることは讃書
することであり、知識階級とは簿書人であると考へられてゐたのである。ところでかくの如く讃書が方
法であるやうな学問においては、侍統といふものが極めて重要な意味をもつてゐるのでなければならな
い。従ってそこでは古典といふものが重んじられ、これを讃むことが学問の眼目になつてゐた。しかる・
にこれは学問において構成といふものが存在したことを意味してゐる。一定の古典が構成として如何な
る言葉を俸へてゐるかを知ることが学問の根本であつた。即ち請書が方法であるやうな学問は侍統的、
樺威的であることを特色としてゐる。このやうな学問の仕方は一般に中世的な態度といふことができ、
敢曾的にみるとそれが行はれた敢曾はやはり侍統と樺威とを基礎にした牡曾であつた.中世的な牡曾は
東西を問はずかかる紅曾であつたのである。ところで請書が学問であるといふ考へ方は、我が園におい
ては更に特殊の事情によつて強められた。日本の学問における先輩は支部であつたが、日本の学者の大
部分は支郷へ行つて直接学んだのではなかつた。交通手段の比較的態達した徳川時代においても彼等は
幕府の鎖国政策のために支部へ渡ることができなかつた。かやうにして日本の学者が先進国の学問をし−
た唯一の方法は讃書であつたのである0 風土、人情、其他、日本とは異る支郵に関することを直接自分
の眼や耳をもつて知つたのではなくて、賓讃を離れて書物に基いて彼等は学問をした。それが停統にな
つて明治以後においても多くの支那学者は従来の如く主として讃書に頼つて研究してゐたのである。
学問と人生
五四一