天 才 論

 


 天才といふものも一つの歴史的社会的現象と考へられかであらう。それは天才運動とか天才時代とかいふ言葉で現はされ、人間社会の一定の状態と結び附いてゐる。かくて例へばチルゼルはイタリアのルネサンスと天才運動との聯関を明かにしようとした。またハインリヒ・フォン・シュタインはイギリス革命と天才運動との繋がりについて語つてゐる。そしてゲルヴィヌスは天才時代をフランス革命の先駆と称した。これら二つの政治現象のいはば中項として、それら政治史上の出来事を内的に制約してゐる精神的状況の一つの徴候として、あの天才時代が存在した。ドイツではゲーテにおいて近代の天才的人間の典型が見られたのみでなく、カントによつてこの天才性の概念の哲学的基礎附けと評価が行はれた。シルレルの美的教育に関する第二書簡における、「時代の政治的問題を美学によつて解決する」といふ言葉は、この時代の精神的傾向を特徴的に言ひ表はしてゐるであらう。
 今日の社会的政治的現象における合言葉は「天才」ではなくてむしろ「指導者」である。この二つの概念が歴史的に含蓄する意味を明瞭にすることは、今日の歴史的現実を把握するために重要であらう。天才の先駆者は「英雄」であつた。原始的な英雄崇拝の段階においては人的要素と物的要素とがなほ分離してゐなかつた。といふのは、崇拝者は彼の英雄と物的目的を共通にしたのである。かくて将軍はその士卒から、預言者はその信者から、学派の頭目はその弟子から驚歎され崇拝されたが、反対の党派の統領はただ憎悪を喚び起すのみであるといふのがつねであつた。この党派的な英雄崇拝から段階的に絶えず一層形式的な評価が現はれてきた。今や勇敢な敵はもはや憎悪をもつて見られることなく、むしろ既に或る尊敬をもつて見られるやうになつた。平和な心の殉教者は戯身的な闘士と同時に且つ同様に称讃されるやうになつた。即ちチルゼルの言葉によると、党派的な人物評価は形式的無党派的な人物評価へ推移したのである。実際、我々の時代においては全く違つた領域における偉人、全く反対のことがらに奉仕する者が同じやうに天才と呼ばれてゐる。かやうな形式化は人々の関心が物よりも人間に、客観的なものよりも主観的なものに向ふやうになつたことと結び附いてゐる。天才の概念の成立は近代の主観主義的傾向と密接な関係をもつてゐる。それは心理的には内的生活に対する反省を前提してゐる。その場合物的な仕事よりも人間的な仕事の能力に、外部からの影響よりも内部の、生得の素質に、また内的生活の種々の面のなかでも最も主観的な、物的に確定するに最も困難なものに注目され、かくて感激や霊感、すべて非合理的なもの、合理的に習得されないものが天才の特徴と看做される。浪漫的心情が天才主義の出現の地盤であつた。人間は個性的なもの、特異なもの、他と共通ならぬものに従つて評価され、かくて大衆との関係から切り離されて、孤独であること、理解されないといふことが天才の特徴であるかのやうにさへ思はれた。今日の指導者の概念は天才の概念における右の如き形式化と主観主義とを克服するものでなければならぬと考へられるであらう。しかしながら天才の概念がもはや無駄になつたのではない。指導者そのものが今日においては天才であるといはれるであらう。天才とは何かといふ問題は、指導者の問題にとつても決して無関係ではない。指導者が旧い英雄に堕することのないためには、天才の概念を媒介にして指導者の概念が確立されねばならないであらう。かくて「時代の政治的問題を美学によつて解決する」といふことは、今日或る意味において再び必要になつてゐるのである。
 この場合私はカントの天才論を顧みようと思ふ。カントの天才論が興味があるのは、先づそれがいはゆる天才時代の哲学的反省の産物であるためである。この時代のドイツの天才論はフランス、殊にイギリスの文学や思想から大きな影響を受けてゐるが、カントの天才論も同様であつて、とりわけジェラードの『天才論』の影響が認められる。しかしまたカントの天才論において興味があるのは、彼があのシュトゥルム・ウント・ドゥラングの天才運動に対して他方、例の如く冷静な、批評的な、懐疑的な態度をとつてゐるといふことである。それは天才主義的ならぬ天才論として興味が深い。もちろんカントの天才論が重要であるのはその哲学的内容のためである。一般的にいふと、カントによつて確立された主観主義の哲学はドイツにおける天才運動の地盤を準備したと見られ得るのであつて、カント哲学から出立したドイツ浪漫主義の哲学、フィヒテの自我哲学、シェリングの藝術哲学等が天才時代の思想的背景となつた。カントの天才論は『判断力批判』の中で最もまとまつて取扱はれてゐる。しかしシュラップの研究が明かにしてゐるやうに、彼はたびたびの人間学講義の中で既に天才について論じてゐる。天才の問題は彼にとつて元来人間学の問題であつた。他方彼の論理学講義が示すところによるお、美的完全性或ひは後にいふ美的判断に関するカントの説は、論理学と感覚論との対比から出てきてゐる。かやうにしてカントは『判断力批判』において人間学と論理学とに分れて存在する材料を内面的な統一にもたらすといふ興味ある試みをなしたと見られ得るのであつて、これによつて天才論と美的判断の批判とは相互に豊富にされることになつた。即ちカントの天才論は心理学と論理学とを統一するものとして重要な示唆を含んでゐるであらう。しかるに飜つて考へると、カントが彼の先験的批判主義の立場から感覚論と論理学との関係を最も根本的に論じたのは『純粋理性批判』においてであり、そしてその中で彼は感性と悟性とを根源的に媒介するものとして構想力を考へたのである。ちやうどそのことに相応して、カントにとつて天才の問題は構想力の問題であつた。天才の論理は構想力の論理でなければならぬであらう。これがまた私には重要と思はれる点である。
 さてカントは、ニコライによつて伝へられる人間学講義の中で、人間の心を資質、才能及び天才に区別した。資質は物を把捉する力をいひ、才能はしかし物を生産する力をいふ。資質は教育されることの容易さであり、才能は物を発明することの容易さである。即ちカントはすでに才能〔タレント〕について、物を作る力に関してのみこれを認め、単に物を容易に理解する力は才能とは別の資質〔ナトゥレル〕のことであると考へた。生徒に必要なのは資質であるが、教師にはしかし才能が必要であるとも彼はいつてゐる。教師は自分で形態と作品を産出し得る者でなければならぬ。能才にしてすでにさうであるとすれば、天才はもちろん物を作るといふ見地から見らるべきものである。天才は創造的才能である。才能は教育を必要とするが、天才はその必要がなく、むしろあらゆる技巧〔クンスト〕を代位する、それに属するものはすべて生得のものであり、従つて技巧とは反対のもの、自然のものである。自然は物を理解しないであらう、物を理解するといふことは人間の資質である、しかし自然は絶えず物を作る、天才はかかる自然の如きものであると考へられる。天才が創造的才能であるといふのは、カントによると、あらゆる規則なしに物を作るといふことである。それだから天才でないのに天才と思はれようと欲する者は、規則をを捨て、これによつて天才の外観を与へようとする。しかし規則はその価値を保証してゐる。天才でない者は僭越にも規則を捨てようとしてはならぬ。天才は教育によつて作られない、ひとは天才を喚び起すことはできるが、能才を天才にすることはできない。「かやうにしてひとは何人にも哲学を教へることができぬ、けれども哲学に対する彼の天才を喚び起すことはできるのであつて、その場合彼が天才をもつてゐるかどうかが明かになる。哲学は天才の学である。」天才は創造的才能と呼ばれ、また発明の概念と結び附けられた。「学問の発明には天才が、その修得には資質が、それを他に教へるには才能が必要である。」あらゆる藝術は言ふまでもなく天才のものである。中位の天才といふのは矛盾である、かやうな者は能才に過ぎず、天才は或る異常なものである。天才は稀である、言ひ換へると、毎日何物かが発明されてゐるわけではない。尤も発明といふものにも、才能を教育によつて完成させ、かやうにして規則の導きに従つて発明するといふ場合があるであらう。しかしながら新しい方法を発明するといふことは教育によつて学ぶことができぬ、とカントはいつてゐる。天才は規則に束縛されるのでなく、彼が規則の模範である。天才が規則なしに物を作るといふことは、彼の作つたものが規則に合つてゐないといふことではなく、むしろ反対である。「作られるあらゆるものは規則に合ふものでなければならないから、天才は規則に合つてゐなければならない。」それだからひとは彼の作品から規則を作り得るのであり、かくして天才は模範となるのである。天才は規則の意識なしにしかも規則に合ふものを作り出すのである。
 ところで天才は人間の特に如何なる能力に関係するであらうか。人間学についてのカントの講義は一致してこれを構想力に帰してゐる。天才には独創的な構想力が属する。構想力のみが創造的である。あらゆる天才は主として構想力の強さとその創造性に基いてゐる。かやうにして『実際的見地における人間学』の中では、「構想力の独創性は、概念に一致する場合、天才と呼ばれる」、と定義的に記されてゐる。概念に一致しない場合、それは単なる空想もしくは妄想に過ぎぬ。概念に一致するといふのは規則に合つてゐることであり、また悟性に適つてゐることである。悟性は規則の能力にほかならない。「天才にとつての本来の領域は構想力のそれである。なぜならこのものは創造的であつて他の能力よりもより少く規則の束縛のもと立ち、そのためにそれだけ独創的であり得る。」しかし構想力の自由な戯れは悟性から導来されたのではないとはいへ悟性に適つたものでなければならず、さうでないとそれは妄想に過ぎないことになる。同じ箇所においてカントは「発明」と「発見」とを区別してゐる。発見といふのは、以前から既に存在してゐて単にまだ知られてゐなかつたものを見出すことであつて、コロンブスによるアメリカの発見はその例である。しかるに発明といふのは、例へば火薬の発明の如く、それを作つた技術家によつて初めて存在するやうになつたのであつて、それ以前には全く知られてゐなかつたものを見出すことである。そしてカントは「発明の才能」が天才であるといつてゐる。
 さて美と藝術の問題を主題とした『判断力批判』においてカントの天才論はだいたい次のやうな形をとつてゐる。藝術は規則を必要とする、規則なしにはおよそ藝術は考へられない。けれども藝術の本質はこの規則が概念から導来されるのでないといふことを要求してゐる。なぜなら美についての判断は美的(感覚的)であつて、その規則根拠は主観的な感覚、感情であり、概念ではないから。そころで藝術はその規則を対象から概念的に導来することができないとすれば、そのものは必然的に主観のうちに、言ひ換えると、創造する天才の自然の内に与へられてゐなければならない。「天才は生得の心の素質であつて、これによつて自然は藝術に規則を与へる。」これがカントの有名な天才の定義である。この言葉のうちには全く深い形而上学的問題が含まれてゐる。そこに言ひ表はされてゐるのは自然と自由との綜合であり、そしてまさにその点に判断力批判がカントの哲学において占める決定的に重要な体系的地位が存してゐる。藝術は天才の藝術としてのみ考へられ得る。天才の第一の性質は言ふまでもなく独創性である。彼は模倣によつて作るのではなく、模範なしに作るのである。しかも第二に、天才のこの独創性はそれ自身模範的であり、他に対して規範或ひは典型として役立つのでなければならぬ。第三に、創造的天才は自己自身にとつても秘密である。彼は学問的に彼の方法を示し、これによつて直接の模倣を可能にすることができぬ。彼は無意識に、彼の自然の、生得の素質に従つて、いはば彼を導く保護神〔ゲニウス〕の天来の影響のもとに創造するのである。天才は自然として藝術に規則を与へる。第四に、秀才は学問の領域郎ち概念の領域には存在せず、ただ藝術にのみ属してゐる。天才が自然として藝術に与へる規則は概念的に導来され定式化され得る法則ではない。それは既に出来上つた藝術作品から、批評と趣味に対する規矩として役立ち得るために、読み取られねばならぬ。天才の作品はその場合にも精密な、小心翼々の「模作」にとつての手本であるよりも、「模倣」

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即ち競争的な継承にとつての例である。言ひ換へると、それは継承者の同じ性質の精神の生産性
を刺戟し、これによつて「原理を自己自身のうちに求め、かくして自己自身の、屡々より善い道
を取る」やうに導くのである。ただ天才の作品においてのみ藝術は一つの世代から他の世代へ伝
へられる。天才の作品は藝術的理念にとつて唯一の伝達手段である。
 いまカントが判断力批判において藝術にのみ天才を認めて、他の領域には天才は要しないと
考へたことは、我々の一般の考へ方に一致しないであらう。カント自身、人間学の中では、既に
記したやうに、例へば哲学を天才の学と称してゐる。また彼は天才を発明の才能とも規定したの
である
実際我々はあらゆる領域において、発明と独創の存在する場合、そこに天才を考へるこ
とができるであらう。カントは天才の藝術のみが藝術であると考へ、このやうに天才といふもの
を重く見たのであるが、同時に彼は天才でなくて天才を蟄る者、いはゆる天才的人間、「見た
ところ今を盛りの天才」を1天才讐も」といつて軽蔑し、非難し、警告した。彼等は訓練馬に
乗つてょりも狂ひ馬に釆つてょり善く行進し得ると思つてゐる浅薄な頭脳であり、あらゆる規則
を地郷互すればそれで既に天才であると信じてゐるのである。1極めて細心な理性の研究に
攣ることがらにおいて誰かが天才の如く語り、決定するならば、それは全く笑ふべきことであ
   lヽ
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              か、
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る。」カントが拳術以外の領域においては天才といふものを認めず、萎術においても或る箇所では
天才はただ豊富な素材を供し得るのみで、その加工即ち形式は学校風の才能を必要とするといふ
意見を漏してゐる如きことは、彼の天才論がその時代のいはゆる天才運動に封する彼の抗議的な
曾増純舶雷態度に穿響されてゐることを示すものと解し得るであらう。
 /j′/卜山ほはほ〓牝はほ惚州笈州瀾を作り出す生産的才能である。
これに封して趣味は美なるも
のを判断する能力である。美的判断は趣味判断にほかならない。カントの判断力批判の主題は美
的判断であつた。それでは天才と趣味とは如何に関係するであらうか。趣味は軍に美なるものを
判断する能力であるとすれば、奉術作品の生産にとつては趣味のみでは足りないといはねばなら
ぬ。ところがカントは他の場合には奉術作品を趣味の生産物といつてゐる。これは矛盾であるや
うに見える。しかしこの矛盾は外見上のものである。天才は自然として拳術に規則を輿へるとい
ふカント自身の定義に徒ふと、趣味との」致は天才から離すことができず、むしろ本質的なもの
とLて天才に属しなければならぬ。天才の作品は趣味に反するとは考へられ得ない。趣味のない
天才は模範的でも典型的でもなく、規則を輿へるものでなく、判断の規組となるものでなく、徒
つておよそ天才ではないであらう。趣味判断の規定根接はカントによると美的合目的性である。
天 才 論
四一九
些細

顎当l
         嘗ギ嘗Jを雲雀よ二▼一
                       四二〇
即ち経験的直観において輿へられた封象の姫式が、感想力における封象の多様の把捉と悟性の枕
念の表出との一致するやうな性質のものである場合r悟性と構想力とは畢なる反省において彗
にその仕事の促進のために調和し、そして封象は寧に判断力にとつて合目的的なものとして知覚
されるのである。ところで1その結合〔妄の関係における〕が天才を構成する心のカは構想力
と悟性である。」天才は構想力と悟性といふ1彼の認識能力の自由な使用における主観の天昧の
            }l首I・・Il′1−・Iミーー
模範的な濁創性」である。そして1構想力がその自由において悟性を喚び起し、また悟性が構想
力を概念なしに規則に合つた戯れにおく場合、表象は思想として侍へられないで、合目的的な状
態の内的感情として停へられるのである。」天才はただ気使な構想力であるのではなく、そのいは
ば相関者として悟性が絶えず注意されてゐる。美的理念は多くのことを考へさせるやうにする横
                                町
想カの生産的な、含蓄的な表象にほかならないのである。
 私はここにこれ以上カントの天才論を追求することを要しないであらう。天才は自然として萎
術に規則を輿へるといふ定義、或ひはまた萎術作品は自然の生産物として現はれ、逆に自然もま
?eグ
l・1IllIII皇−−
た萎術として見られる場合にのみ美と呼ばれ得るといふ
いふ、あの1自然の技術」の思想とも関聯す
べき説などに合著されると思はれる形而毒を展開することは他の櫻曾に譲らねばならぬ。今日
我々が指導者の問題を考へるに雷つてカントの天才論から学ばねばならぬのは、およそ次の如き
ことであらう。もとよりすべての指導者が天才であるのではない。指導者は先づ何よりも能才で
なければならぬ。人を数へ得る能力は才能に属するとカントもいつてゐる。能才ですらない老が
天才を粧ふが如きは甚だ笑ふべきことである。
 天才は!能才もすでに−物を作る能力においてのみ考へられる。それがどのやうなもので
あらうと、畢に蛮術作品に限られることなく、紅合の組織とか制度の如きものであるにしても、
物を作るといふことにおいてのみ天才が考へられる。指導者も何等か天才的なものとして物を作
り得る人間でなければならぬ。畢なる口舌の徒は指導者の資格を有しないであらう。しかるに
「作られるあらゆるものは規則に合ふものでなければならないから、天才は規則に合つてゐなけ
ればならない。」もちろん天才は眈に存在する規則に徒つて作るのではない、彼は創造的である。
彼が創造するものはしかし規則を輿へるもの、徒つて悟性に適つたものである。指導者にはかや
ぅな合理性が要求されてゐる。その行為に如何なる合理性も認めることができない者は指導者と
は考へられない。尤も天才の作品は精密な、小心翼々の「模作」にとつての手本であるよりも、
継承者の同じ性質の精神の生産性がそれによつて刺戟され、それと競争するといふ意味における
天 才 論
四二一
穎姐

四二一一
Z周凋頂uっ月対空う 。
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術」は天才的なものでなければならぬ。熱割割引叫剛剛然の技術のうちに存在し、しかもそ
山糾削引割引引意力は世界形成的な原理である。凱H.引
然は天才の如く働く。単にいはゆる天才のみが天才的であるのではない。あらゆる人間は何等か
の程度、何等かの仕方で天才的であり、創造的であり得る。『純粋理性批判』において宇宙論的
うとするのである。引糾引剛廿凱といひ得るであらう。


                                                ■ .■ ■■L..11I一.与
1模倣」にとつての例である○模倣はこの場貪なる揆彗はない。慧者は先箸の造り方に
評付樹、屡々よ塞い道を誓亡やうに、
                ミI〜ll一一一一ll−
紬い謂硝
シングはいづた。指導者においても同様であつて、彼の天才が他の人々の措辞の同じ性質の創造
榔棚湖渕舶瀞働棚舶
                                                                                   〉 ヽ  ヽ 「】「「「ヒnヽノー1【
カントのいふ「自然の技
′_ n転臣止滝
頻頻
意味を輿へられた構想力、そしてその晋現と見られ得る『判断力批判』における自然の技術の思
                                                                   首
想は、カントの天才論の締結をここまで持つてくることを可能にするであらう。そこでまた指導
者は他の人々の創造的才能を抑歴するのでなく、彼等のうちに存在する天才に鮎火してこれを生
産的にするものでなけれはならぬ。ソタラテスにおけるダイモニオンの思想は後の天才の概念の
璃初と見られるのであるが、そのソアラテスの天才はまさにかくの如きものであつた。かくの如
き意味において模倣され継承されるものが眞の指導者である。指導者は規則であるよりも精神で
あるといはれるであらう。精神ハガイスト)とは何であるか。精神は「生命的にする原理」であ
るとカントはいつてゐる。美的意味における精神は心における生命的にする原理あつて、心の諸
カを合目的的に活澱に活動させるものである。この生命的にする原理即ち精神は美的理念の表出
の能力にほかならず、美的理念といふのは多くのことを考へさせるやうにする構想力の生産的な、
含蓄的な表象である。ところで天才は天才を喚び起す上いふ場合、各々の人間は一つの創造的世
界のうちにある創造的要素と考へられねばならぬであらう。天才はこの創造的世界或ひは歴史的
自然の深みから汲んでくるのである。すべての人間はかかる世界から作られたものであるが、し
かもすべての人間がそれぞれ濁創的なものであるとすれば、天才が天才を喚び超すといふ場合、
天 才 論
四二三

                      四二四
かかる世界の構造はライブニッツのモナドロジーの如きものと考へられねばならぬであらう。教
明と模倣の法則にょつて審現象を説明したタルドの杜禽寧の根砥にかかるモナドロジよ存在
するのは興味深いことである。またあのドイツにおける天才時代の天才論に哲寧的根操を輿へた
ものがライプニッツのモナドロジーであつたのも注意すべきことである。カン£天才論はライ
ブニッツのモナドロジーにょつて教展させられねばならぬ。同時にそこに今日の指導者の概念の
展開にとつて一つの靂要な契機が見出されるであらう。
〆こ