小市民精神の清算

 すでに久しく革新が唱へられてゐるにも拘らずなほ革新を要するものが多いといはれてゐる。一体何が革新を沮んでゐるのであらうか。真の革新を阻害するものとしてここで特に小市民精神といふものに注意を促したいと思ふ。
 例へば今日なほ頻に闇取引とか買溜めとかが行はれてゐるやうである。これは自由主義とか個人主義とかに依るといはれてゐるが、その純粋なものでなくむしろ小市民精神の現れである。真に近代的な資本家なら、そのやうな方法で営利を計らないであらう。それは狭隘な、自分の小さな生活の範囲しか見ることのできない小市民的意識の現れである。このものを清算するのでなけれは、新しい商人道徳も消費者道徳も確立されない。
 或る人の話では、現在農村の人々も意外に現状維持的であるとのことである。これは何に依るのであらうか。インフレの浸潤によつて農村の人々にも小金が出来た。さういふことからその人々の間にも狭隘で自分の安泰をのみ考へる小市民的意識が生じて、いつのまにか現状維持的な気持になつてゐるといふのではあるまいか。
 この時代において文化の維持発展が大切であることは言ふまでもない。しかしこの文化といふものが小市民的なものにならないことが肝要である。映画を観たり音楽を聴いたりするのは善いことである。けれどもそれが政治的には無力で、自分の小さな生活の幸福のみ考へる小市民精神になつてはならない。真の国民的文化は小市民精神を打破することによつて生れ得るのである。喧しい生活文化などといふものも以前いはれた「文化生活」の如き考へ方にならぬやうに注意を要する。
 革新といはれるものにも小市民的な観念がなかなか多いのである。他人の私生活の瑣事にまで干渉して、それが革新であるかの如く考へてゐるのは、狭隘で、とかく嫉妬的な小市民的意識に属してゐる。真の革新はかやうな小市民精神を克服してはじめて可能になるのである。
 我が国では自由主義が十分に発達しなかつたといはれるやうに市民精神も十分に発達しなかつた。自由に発達する事のできなかつた市民精神は残存してゐる封建的意識を結びつけて、そこに特殊な型の小市民精神を形成した。そしてこの小市民精神が今日あらゆる方面において革新を沮害してゐるのが見られるのである。自分のうちに意識されないで巣くつてゐる小市民精神を清算することが真の革新への条件である。