西田幾多郎博士
西田先生は石川県の出である。東京文科大学哲学選科を卒業された。地方の高等学校の教授となり、また学習院で教鞭をとられたことなどもあつた。その間に『善の研究』が出来た。京都大地学へ這入られてから殊に多産な研究の日が続いた。論文が次から次へと書かれ、纏められて数種の単行本になつた。研究著作と共に先生はそこで沢山な弟子を養成されてゐる。単に学校に於てばかりでない、その著書の偉大な影響のために、哲学界の若い人々の殆ど凡ては多かれ少なかれ先生の感化を受けてゐるのである。西田哲学は一時日本を風靡した観があつた。昨年の夏先生は停年の故をもつて大学を引退された。帝国学士院会員である。
嘗て現代の哲学を論じた中に、古きロマンチストは抒情詩を歌うた、新しいロマンチストはドラマチストとならねばならぬ、と先生は書かれた。私はこの言葉が先生の哲学の風貌を伝へてゐはしないかと思ふ。先生はなによりも直観の人である。その考へ方は著しく具象的である。しかし先生は藝術家的な直観を直接に吐露されるのでなく、それから得た想をどこまでも練り、これを構成してゆかれる。その構成にあたつてはもとより論理的厳密を期しながらもなにとなく放胆にして、しかも度胸のすわつたところがあるやうに感ぜられる。いはゆる「種々の世界」に出入してそれぞれの立場の個性を生かさうとしながらも、これを統一せずにはおかぬ思索の勇気と執拗とが到る処に現はれてゐる。様々な思想は先生の哲学に於てまことに劇的な統一を見出す。この統一の中心は先生の人格である。今の時代の哲学に於て先生のものほど人格的な哲学はない。これらの特色がその難解にも拘らず多くの人をして先生の著述に近づき易く親しみ易く感ぜしめるのではなからうか。
先生の思想の発展はこれを三期に分つことが出来る。第一は『善の研究』によつて現はされてゐる純粋経験論の時期である。第二は『自覚に於ける直観と反省』を中心とする主意主義の時期であつて、『意識の問題』及び『藝術と道徳』とがこれに属する。『思索と体験』は両者の過渡期にあるものと見られる。第三は最近の、殊に『働くものから見るものへ』の後編の論文によつて明かにされて来たところの直観主義の時期である。この書の前編に収められた諸論策はこれを準備するものと考へられ得る。この発展は言ふまでもなく連続的であつて、先生が純粋経験を説かれるとき、その根柢には意志的なものがあつたのであり、そして先生が意志について語られるとき、その基礎には直観的なものが既にあつたのである。しかし先生の哲学について専門的な議論をするのはいまはその場所でない。
先生は愈々元気である。大学を去られるに際して記念論文集捧呈の議が弟子達の間に起つたとき、先生は、これから自分で大いに書くつもりだから、そのことは見合はせてくれと申された。最近鎌倉の寓居に先生をお訪ねしたときには、これから一年間続けて筆を執るのだ、と先生は話してをられた。私は私の学生時代、二年あまりの間、かの画期的な書物『自覚に於ける直観と反省』の文章を毎月発表してゐられた当時の先生の姿を想ひ起し、今なほ衰へぬ先生の精力に対して畏敬の念を禁じ得なかつた。辺幅を飾らず、世のつねの栄達を求めず、超然として、しかも烈しく思想を求めてやまざる先生の人格には崇高なるものがある。