最近の哲学的問題
日本主義の哲学
最近の哲学的問題と云つても、専門的なものでなく一般的関心の対象となつてゐるものを二三取り上げて、そこに如何なる問題が含まれるかを指摘してみようと思ふ。
この頃「日本主義の哲学」といふ語が広く用ゐられるやうになつたが、この語が学問的に何を意味するかは、そのやうな哲学の主張者自身に於ても明確に規定されてゐないやうである。日本精神とか日本主義とかは論議を許さぬ信仰の対象であると云つてしまへばそれまでであるが、しかし他方人間には自分の信仰にも理論的基礎を与へようとする根本的な要求がある。歴史的に成立せる一定の信条を動かすことのできぬ真理として前提し、その立場から理論化を行ふ学問は、学問分類上においては哲学でなくて神学である。いはゆる日本主義の哲学は果して真に「哲学」であらうと欲するのか、それとも「神学」であるのか。「日本主義の哲学」の著者松永材氏を初め日本主義の哲学者をもつて任ずる人々は、この簡単な、出発点における最初の方法論的問題についてすら反省を与へず、従つて自己の意図を学問的に十分に自覚してゐないやうに思はれる。
日本主義の哲学は、それが神学でなく真に哲学であるとすれば、国民主義乃至国家主義の哲学にほかならぬことになると云はれるであらう。しかるに国民主義の哲学は哲学としては単に日本主義のみでなくドイツ主義をも支那主義をも基礎付け得るものである。それ故に批判者が日本主義の哲学をファッシズム哲学一般の中に入れることも理由のないことでない。もしその内部で日本主義の独自性が哲学的に主張されるとしても、同じ哲学的根拠からドイツ主義や支那主義のそれぞれの独自性も基礎付けられる筈である。哲学とはそのやうなものであることを日本主義の哲学者も認めなけれはならぬ。
だからまた私は日本主義の哲学者に対して、その多くが日本主義を基礎付けるにあたり、理論的根拠を何等かの西洋哲学に、或はヘ−ゲル、或はシュパンやカール・シュミット或は新カント主義にさへ仰いでゐるといふ事実を強ひて非難しようとは思はない。寧ろ私はそれらの人々がそのやうな西洋の哲学の理解において日本主義以外の人々に比してかなり粗末であるといふことを遺憾に思ふ。特に遺憾に感ずることは、そのやうな国民主義の哲学が世界において日本で最初に唱へられなかつたといふことである。もし日本が最初であつたのなら、その場合にはこれこそ日本の哲学、或は欲するならば、日本主義の哲学であるとして全世界に向つて我々も一緒に誇つたであらう。
ところでまたもし日本主義の哲学といふことが日本歴史を深く究めてそのなかから哲学的なものを組織して来るといふことであるとすれは、それはまことに結構なことだ。しかし現在の日本主義の哲学者はそのやうな日本の理解においてすら多くは旧い常識の範囲を脱してゐない。彼等の理解は局部的であり、その局部的なものについても相互に一致があるわけでない。我々も日本文化の根本的性格について知らうとする熱意を有するものであるが、ただそれは哲学的構成によつてでなく忍耐ある歴史的研究によつて知られることである。そしてまたこのやうな場合においても、日本主義の哲学が真に哲学として成立するならば、それはもはや単に日本的なものでなく普遍的な、世界的意義を有するものである筈である。我々はもとより哲学の普遍性を抽象的に考へてその国民的性格を無視しようとは思はない。しかし日本人がほんとに考へ抜いて出来たものであるならば、どのやうな哲学にも、日本的なものが現はれる筈である。日本主義などと云はない人々が、真に世界的意義あり、将来性のある「日本の哲学」を作ることになるであらう。
全体主義の論理
日本主義の基礎付けの理論として屡々持ち出されるのは全体主義である。林癸未夫氏、藤沢親雄氏、鹿子木員信氏など、いづれも全体主義の理論を何等か用ゐられてゐる。云ふまでもなく全体主義は日本主義者の初めて考へ出したものでなく、既にヘーゲル、アダム・ミューラーその他のドイツ浪漫主義者の政治思想のうちに現はれ、更に溯つて古代のアリストテレス、中世のカソリシズムの政治思想なども全体主義的である。全体主義が現在ナチス・ドイツの、またイタリア・ファッシズムの御用哲学となつてゐることは周知の通りである。
このやうに全体主義の哲学は西洋のものであるが、鹿子木氏の如き日本主義者は、それをもつて日本主義を基礎付けるにあたり、全体主義は諸外国においては空想的なものであるに反し、日本においてのみはそれが現実である、日本は全体主義を実現した或は実現し得る唯一の国である、と主張するのである。
およそこの種の論法は日本主義の哲学者によつて好んで用ゐられるところである。例へば松永材氏は論ずる。忠義や愛国心は日本人の独占とは云へぬ。日本の歴史とても決して忠臣義士のみをもつてをらぬ。しかし歴史上の事実に立脚する哲学は内在主義であり、内在主義は相対主義に陥るのほかない。そこでこれを征服するためにいろいろの超越主義が提唱されて来た。「ヘーゲルが絶対精神を考へたのも、リッケルトが超歴史的価値を立てたのも皆その一例である。しかも世界史の示した凡ての超越主義は結局彼岸的のものであつて空想的であつた。ただ日本主義においてのみ歴史過程を通じてまた歴史過程のうちに超歴史的要素が見出される。」
そもそも全体主義は外国では古い歴史を有する思想であるが、それが外国では空想的なものであつて、日本でのみ実現されるとすれば、日本は「外国思想実現の地」といふことになるのであらうか。むかし日本は「大乗相応の地」と云はれたことがある。それは勿論仏教尊重の立場において云はれたことであるが、日本が全体主義相応の地であるとすれば、外国思想排斥を日本主義者が叫ぶのは可笑しなわけである。
またへーゲルにしても、彼が哲学的に構成した「国家」(それは全体主義的である)が現実にプロイセン国家において実現されてゐると晩年には考へたのである。全体主義の理論的源泉であるドイツ浪漫主義は、同時にドイツ歴史学派の源流であるやうに、歴史を重んずるといふことを特色とし、従つてその全体主義を決して単なる規範もしくは当為として立てたのではない。その歴史主義は寧ろ松永氏の云はれる内在主義的立場に立つものである・いな、全体主義はその論理的構造において内在論的であることを根本的特徴としてゐるのである。
そして全体主義思想が世界の何処で最もよく実現されてゐるかといふ問題は、もとより先験的に定められ得ることでなく、その決定は歴史的研究に俟たねはならぬ。そして歴史的研究によれは、中世的封建的社会は全体主義的であつて、従つて日本が全体主義的思想の現実の地盤を特にすぐれて有するとすれは、それは日本の社会のうちになほ封建的遺制が外国よりもより多く存するためではないか、といふやうなことを考へてゐなければならぬ。
全体主義思想の含む種々なる論理的難点を度外視しても、今日では全体と云はるべきものは単に個々の国家のみでなく、更に「世界」が次第に一全体としての現実的意味を有するに至りつつあるのである。これが人類史の発展の示してゐる方向である。全体主義即ち国民主義といふことはそれ故今日「血と地」といふが如き自然神秘説の上に主張されてゐることは、ナチスの人種政策において見られる如くである。
能動感覚論その他
最近私は酒井市郎氏の新著『能動感覚論』といふものを一読した。著者も日本主義者であるらしいが、間に合はせの日本主義者と違ひ真面目に研究して行かうとする態度には敬服すべきものがある。この書は酒井氏が廿年の思索の結果初めて達し得た思想であるといふことである。ただこの書物の後の部分に述べられてゐる機関説排撃を含めての日本精神論と、この書物の主なる内容をなす能動感覚論との結合はやや唐突に過ぎ、その間に如何なる内面的関係が存するのか、我々には十分納得できない。両者が結び付くものとすれは、もつと綿密な論証が必要であらう。
しかし酒井氏が取扱つてをられる感覚の客観性もしくは実在性の問題、感覚の能動性の問題、所謂実在論理の問題等は、日本主義との関係は別にしても、哲学一般の問題として興味があり、また重要でもある。それらの問題に着眼して独自の展開に努めてゐることは確かにこの書の功績と云つてよい。近頃文学の方面で論ぜられて来た能動主義論乃至行動的ヒューマニズム論なども、感覚の能動性の問題にまで思想を深めて行く必要があるであらう。従来の哲学では感覚は受動的なものと見られ、受容性の原理と考へられた。しかし現代の哲学においては感覚を能動的なものと見る傾向が次第に現はれてゐる。弁証法的唯物論にしても、或はアメリカの所謂行動心理学を新たに発展させようとする心理学その他にしても、それぞれの立場それぞれの仕方でかくの如き傾向に属するものと考へ得るであらう。酒井氏の研究はもちろんそれらとは異る独特のものであり、個々の点については疑問がなくはないにしても、注目すべき努力を示してゐる。ただしかし酒井氏の場合、感覚の客観性及び能動性を究明するにあたり行為の立場の考慮及び攻究がなほ不十分であることとも関連して、その所謂実在論も結果においてはマッハやアヴェナリウスの経験批判論に、もしくはイギリスの新実在論に近いものがあるやうに思はれ、異る特色をもちながらやはりそれらと同様の性質の長所と同時に故障をも具へてゐるやうに考へられる。
既に述べた如く、この能動的感覚論にしてもそれと日本主義との結び付きは明瞭でない。いつたい日本主義とか日本精神とかいふが如き問題を哲学的に論じようとするならは、どうしても歴史的存在の論理を把握してかかることが必要である。しかるに一般に日本主義者はこの点についての研究が甚だ足りないのではないか。そして歴史的存在の論理が明かにされるとき、同時に所謂日本主義の狭隘性や独断性は克服されるであらうと信じる。
一国文化の特殊の基礎をその国の風土に求めるといふ見方は新しいものではないが和辻哲郎氏の近年の研究はその観察、その方法の新しさにおいて特に注目すべきものである。人間及びその文化が風土によつて規定されることは争はれない。けれども人間が自然的環境に働きかけてこれを変化する方面のあること、そしてかく働きかける仕方そのものも自然的環境の特殊性によつて規定されることがあるにしても、その近代的方法として発達した科学や技術は普遍的なものであるといふこと、生産及び交通の発達は人間生活に対する自然的環境の意味を次第に変化せしめつつあるといふことが注意されねはならぬ。人間にとつて環境であるのは自然的環境のみでなく、社会的及び文化的環境が存在し、そして後の要素が歴史の発展に伴つてより多くの重要性を得て来るといふことが忘れられてはならぬ。風土的制約の限界、特にその歴史性を無視した風土史観もしくは地理的決定論に陥らないことが大切である。