論壇時評

    一 政党政治の諸問題

 既に昨年の論壇において自由主義は一つの重要な問題であつた。そのとき、それは主として文化的な問題、例へば京大事件、ナチスの焚書に対する抗議等、として現はれた。自由主義の議論は、固よりその当時、もはや過去の無意味にされた思想であるとか、単なる文化主義者の幻想に過ぎないとか、といろいろ嘲笑されたものである。然しながら自由主義の問題は我が国においてはまだそれほど非現実的になつた問題ではないやうである。
 文化上の自由主義はもちろん政治上の自由主義と密接な関係を有し、それらは共通の現実の地盤の上に立つてゐる。それ故に昨年表面的には主として文化上で問題になつた自由主義にして全く無根拠なものでなかつた限り、早晩それは政治上の自由主義の問題としても現はれねばならなかつた筈である。我が国においては当時或る人々が想像したやうにそれほど急速には独裁的支配の形態の出現しない経済的根拠が存在した。
 今度『改造』では「政党政治は復活するか」といふ政治家評論家の座談会を巻頭に載せてゐるし、『中央公論』では「議会政治読本」といふ別冊附録を付けてゐる。それらは議会の季節をあてこんだものであらうが、然し単にそれだけでなく、リベラリズムなりデモクラシーなりの現実的な要求がこの国ではなほ相当に根強いものであることを反映するものと見られ得る。殊に『改造』の座談会は、議論として目新しいものはないが、今日の政治的雰囲気を現はしてゐるところに興味がある。政党政治論者に将来に対する明確な見通しがあるのでもなければ、また政党解消乃至否定論者に現在においてひとを首肯せしめるに足る理論があるわけでもない。然しともかく曲りなりの議会政治が行はれてゐる。それが日本の現状なのである。この点についての長谷川如是閑氏の解剖はだいたい同感できる。なほ松岡洋右中野正剛氏等の意見については土田杏村氏が『経済往来』で批判を書いてゐる(「日本改革諸案批判」)。
 右の座談会で松岡氏は、政党政治は西洋からの輪入物でいけないと云ひながら、自分の意見もやはり西洋のファッシズム的流行思想に影響されてゐることを問はず語りにしやべつてしまひ、大森義太郎氏に一寸痛いところを刺されてゐる。それだから必ずしもいけないと云ふのではないが、この頃の国民主義の議論はたいてい西洋の流行思想の焼直しであるのが実際である。松岡氏は日本の国民性といふやうなものを出発点としてゐられるが、その国民性についての解釈で、島田俊雄氏が「この点私はまるで反対の見解をもつてゐる」と云はれてゐるのは面白い。国民性といふやうなものにしても、それぞれの立場によつていろいろ解釈されるものだ。十年前には日本人の特徴は模倣性にあると一般に云はれてゐたが、最近の日本主義者はさういふことはあまり云はぬらしい。十年前には日本主義的傾向の人も、日本国民の使命は東西南洋の思想を綜合調和することにあると説いたが、今日ではそれとは反対に西洋思想の排斥になつてゐる。時代によつて国民性の解釈も変つて来る。過去の歴史の理解は現在の意識によつて規定される。国民性とは何か、といふ問題をもつと科学的に、或はもつと哲学的に突込んで究明することが今日甚だ必要であらう。ヒュームは「政府の立つてゐる土台は制度でなくて人心である。この格率は最も自由な民主的な政府に対してのみ通用するのではなくて、最も専制的な軍国主義的な政府に対しても適用される」と云つたさうである。松岡氏などが国民性を云々される気持も恐らくこれであらうが、然しそれが単に、宮澤俊義氏のいはゆる「独裁政理論の民主的扮装」(中央公論)でなければ幸である。なぜなら「扮装」はどこまでも扮装であつて本物でないのであるから。ただ独裁政も民主的扮装をしなければならぬところに興味がある。


    二 帝国文藝院の計画批判

 去る廿五日の東京諸新聞の伝へるところによると、少壮軍人と文芸家有志からなる「十日会」がその後軍部の事情によつて事実上解消されてゐる折柄、今度は官吏と文芸家との連繋が企てられてゐる、といふことである。この計画は松本警保局長と直木三十五氏との会見から発し、近く先づ右翼大衆作家たちを集結して官吏側と会合して「文筆報国」の協議を進めるとかいふことである。そして将来それは帝国文藝院といつたやうなものにまで発展させるつもりだ、と伝へられてゐる。
 既に帝国学士院があり、また帝国美術院があるとき、それらに対して帝国文藝院が創立されるといふことは、尤もなことであると思はれる。真の文藝アカデミーのやうなものが存在するのは意味のないことではなからう。然し今度の計画の事情を想像するとき、文藝の見地から若干の疑念なきを得ないのである。
 先づこの計画が思想取締の直接の任にある警保局の後押しで出来たといはれる点に疑念がある。さきに思想問題研究所のやうなものが出来ると伝へられ、一部の画者は自然科学の方面における理化学研究所の如き純粋に学問的な研究所が出来るもののやうに考へて喜んでゐたところ、実際に出来たものが現在の国民精神文化研究所であつたので、甚だ失望したといふことがある。この国民精神文化研究所が如何なる内容のものであり、如何なる役割を演じてゐるかは、周知のことである。今度の計画にしても、学士院のやうなものよりも何か国民精神文化研究所に類する役割が聯想させられる。直木氏談として新聞紙の伝へるところによると、「政府が思想善導だ、なんのかんのといつてみたところで、文学によつて広くインテリ層にまみえてゐる作家群を見のがしてゐてはまるで意味をなさない。」とある。帝国文藝院は文学による思想善導乃至思想統制の機関であることを意図するものの如くにも想像され、それが先づ右翼大衆作家たちを糾合すると伝へられるも偶然でないやうにも考へられる。これがもしこの頃のいはゆる「文藝復興」といふが如き雰囲気もしくは意気込が文藝に理解のある政治家の頭脳に反映して生れたものであつたなら、全く仕合せなことであるに相違ない。
 直木氏の意見として、帝国文藝院の創立によつて文藝家の地位の向上を図るといふことが云はれてゐる。実際、これまで我が国においては「文士」といふものの社会的地位はあまりに低かつた。国家は文藝家に対する優遇の道を全く考へなかつた。それは一流の文化国にとつて恥辱であると云つてもよいほどである。直木氏等の提唱によつてこのやうな状態が改善されるとすれば、まことに喜ばしいことである。そして例へば、年金制度とか賞金制度とかいふが如きものによつて、ほんとに勝れた文藝家が保護され、表彰されるやうになるのは、そのこととしてはまことに望ましいことである。然しさういふことが単にいはゆる御用文学の保護奨励になつてしまふことも考へられる。
 それでなくとも、文藝アカデミーのやうなものが出来ると、あのアカデミズムのいろいろな弊害が伴ひ易いといふことが注意されねばならぬ。これまで我が国の文学が比較的自由に、大胆に進んで来たといふことも、ひとつにはこのやうなアカデミズムが確立されてゐなかつたといふことにもよるであらう。もし帝国文藝院といふが如きものによつて文学統制を企てようとしても、どれほど成功し得るであらうか。美術の方面でも今日では帝展派に対立していろいろな団体が出来てゐる。その上、展覧会と雑誌、印刷され得ない藝術と印刷され得る藝術、といつたやうな差異を種々考へてみるならば、文学統制といふことは美術の場合に比しても遙かに困難であらう。そこで統制は結局検閲の問題に返つて来て、警保局の仕事になる。
 尤も右に述べたことは今日までのところやや仮設的の議論で、実際は次第に明かになつて来る
であらう。


     三 医博濫造のセオリイ

 この頃世人の心を打つ多くの事件の中にも、教育疑獄や博士売買の如きことが現はれたのは、何と云つても遺憾である。後の事件は今日の大雑誌で取り上げられ、『中央公論』では安田徳太郎、高田義一郎、佐々弘雄、そして清野謙次、その他の諸氏が、『改造』では再び安田徳太郎氏が執筆されてゐる。なほ『文藝春秋』の社会時評の中で戸坂潤氏もこの問題に解れてゐる。安田氏の云ふやうに、かかる不祥事件が我が国医学の発祥地長崎に現はれたといふことは皮肉な歴史的運命と云はねばならぬ。
 医学博士の濫造といふことは既に以前から云はれてゐたことであり、このやうな事実の生ずるに至つた原因が博士の肩書は医者の場合には特別の商業的価値を有するところにあるといふことは、諸家の一致して認めてゐることである。その直接の動機が、学問以外にあるとしても、その結果、清野博士の云はれるやうに、多人数寄り合はなければできない研究もおかげで出来上るし、そして各論文共に多少の新知見を保有してゐるから、天才的の創意論文はたとへ少いにしても、学問全体としての水準線はそのために年と共に高まり、これが土台となつて他日天才的創作を生む種ともなつてゐる、と考へられるであらう。そこにヘ−ゲルのいはゆる理性の狡智がある。歴史の理性は各人の虚栄心や利得心を働かせて個人的な目的を追求させながら、その実、或る普遍的な理性的な目的を実現してゆく。自己の功利的目的からにせよ博士になりたい人が多数存在するといふことが日本医学の進歩の基礎ともなつてゐるのである。安田博士によると、今日の事情では指導教授から与へられたテーマを研究するのでなければ博士になれないさうであるが、さういふことにしても、一小部分だけの研究になり易い自然科学の方面において研究を綜合的に大成するための利益の方面をもつてゐるであらう。
 ただ困るのは患者が博士の肩書を信用し過ぎるといふことである。今日の実状では博士になる者の多くが基礎医学の方面で臨床の方は少く、それだのに一般患者は博士を「学者」としてでなく「医師」として立派な人と考へる傾向があるといふのは困る。「素人に肩書にたよる勿れと云ふのは無理かも知れないが、医者は経験と手腕と人格とに依頼すべきであつて、医学博士の肩書は何の意味を示すものなるやを知つて居つてもらひたいものである」と清野博士は書かれてゐる。「医師」は技術的方面の知識、経験、手腕をもつてゐなければならぬ。基礎医学の知識ある者必ずしも臨床上のことに勝れてゐるとは云はれない。そこでもし肩書が必要であるならば、現在の医学博士の称号のほかに、一等医師二等医師といふやうな臨床技術上の区別を設けることも考へられるであらう。そしてもし医学博士が「学者」の資格を意味するならば、それが現在よりも遙かに高い標準にならねばならぬことは当然である。
 今度の長崎医科大学の事件にしても、その根柢に学閥関係があるといふことである。これは社会の殆ど凡ての方面に見られることで、甚だ悲しむべきことである。およそ学者が自分と同様の傾向の新進を集めるといふことは自然のことである。これが純粋に学問上の立場とか主義とか方法などいふものに従つて行はれるならば、そこに一学派が形成される。「学派」は然し「学閥」と同じでない。日本の学界を見渡すに、さういふ学派といふものがあまりに少く、却つて学閥が大きな勢力を占めてゐる。学派が学閥に代らねばならぬ。学徒が一定の学派のためにその学派の学問的発展に尽すといふことは当然のことであるが、今日の実際では青年学徒は学派的活動をなすよりも徒らに小さい独創家をもつて任じ、そして他方学閥関係に結び付くことに一生懸命になつてゐる。それには学問上の偉大な指導者が少いといふこともあらう。指導教授たるものが一片の私情や黄白で動かされるやうでは仕方がないではないか。

 

    四 河合教授の「大学改造論」

 河合栄治郎郎氏は『中央公論』に「混沌たる思想界」といふ長論文を寄せられ、またそれに対する一つの対策の意味でもあらうか、『経済往来』に「大学改造論」といふ長論策を発表されてゐる。
 河合教授の大学改造論は大学における研究と教育との区別を基礎とする。即ち大学は専ら教育に従事すべき所であつて、研究はこれに反し専ら新たに提案される思想研究所及び社会科学研究所に於て行ふやうにするがよいといふ意見である。何故に大学の任務を教育のみに制限するかと云へば、河合教授が知らず識らず語られてゐるところから窺ふに、さうしなければ国家による学生の思想統制は完全になり得ないからである。この点、自由主著と称せられる河合教授はもはや自由主義者でない。もしも大学に学術研究の意味が全くなくなるとすれば、大学の自由などといふことが無意味にされるのは当然であらう。
 河合教授は、常態としては教育と研究とが同一の人間において結合されることは不可能であるやうに考へられるが、我々の経験するところは寧ろ反対である。少くとも大学程度の学校にあつては、学生から尊敬を受け学生に影響を与へ、かくて真に教育の成績を挙げてゐる教授は、学問を愛し研究心に富み、研究家としても立派な業績を挙げ得る学者であるのが常態である。大学生に対しては研究的態度を抜きにしては教育の効果も収め難い。今日大学教授が教育の実績を挙げてゐないとすれば、それは彼等が研究にあまりに熱心なるためであるよりも寧ろ彼等に学者としての研究心が足りないためであり、或はまた寧ろ彼等が種々なる内職に忙殺されてゐるがためでもあらう。大学教授の内職問題はその生活問題とも関係するが、今日統計的数字的基礎の上に研究されて然るべき一つの問題である。
 また大学における教育者と研究家とが截然と区別されねばならないといへば、大学教授の講義内容は教科書にでもして文部省から与へられることにするがよいといふのであらうか。思想統制の上からはさういふことになるかも知れない。然るに大学程度の学問になれば、特に哲学、社会科学等の方面においては、少くともその根本問題になると、一般に認められる定説が存しない場合が多く、従つて教育者もつねに研究家であることを要求されてゐるのである。
 社会は絶えず変化し、学問や思想は絶えず発展する。大学で教へられたことはいつまでも変らずに用をなすことができない。それ故に大学教育の目的は、社会や学問や思想の変化発展に処して、学校を離れても自分で研究し判断してゆくことができる能力のある人間を作るにある。その人間が以後独立に研究し判断し得る能力を養成することが主眼であつて、単に或る一定の学説思想を教へ込むことではない。この目的は教授が勝れた研究家である場合によく達成されるであらう。
 河合教授の意見では、大学における教育者は広い教養を必要とするが、研究家は小さい専門の研究に没頭すれば足りるといふやうであるが、然し少くとも社会科学や哲学などの方面においては研究も広い教養の基礎をもつてするのでなければ真に偉大な業績は為し遂げられないのがつねである。これこの方面の研究が特に長年月を安する困難な仕事である所以である。そしてこの研究においては、単に文献の渉猟以外、学生と接解して質問応答することは一つの最もよき道であらう。
 固より我々は研究所の必要を感じ、その設立を希望することにおいて決して河合教授に劣る者ではない。然し学問の自由を研究所にのみ押し込めてしまはうといふ意見には賛成できぬ。大学教育から研究的要素を駆逐しようとする意見は、ファッシズム的思想統制の方法としてしか受取れないのである。然るに思想の強制があるところ、真の研究はあり得ず、従つて真の意味での研究所もあり得ないことになりはしないか。