歴史の理性


 いつたい歴史のうちに理性があるのか、1現在の世界情勢を前にして誰もかう間ひたくなる
であらう。そしてその「恐しい混乱」を見ては、誰も多少とも懐疑的にならぎるを得ないであら
ぅ.だがもし歴史のうちに何等の理性も存しないとすれば、我々は何を操り断として行動し得る
のであるか。如何なる懐疑主義者も、
みづから信ずるほど懐疑的ではない。懐疑主義者も日々生
1概威
きllヽlf■
きてゆかねばならぬ、そしてその場合彼はけつきよく現存の秩序に頼つて生活してゐるのである・
ぎ}ll一一l▼
懐疑主義者は現状維持派に過ぎないのがつねである。しかしその現存の秩序の動揺が今日の混乱
であるとすれば、いつたい我々は何を擦り所にして行動すれば好いのであるか。自己の情熱から、
と云はれる、或ひは、民族の情熱から、と云はれるであらう0いづれにしても問題はこの場合同
じである。軍なる情熱のみからは我々は何事も成就することができぬ。そしてもし歴史のうちに
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理性が存在するなら、そして我々の情熱が畢に主観的なものに過ぎないがらは、その理性のため
に我々の情熱からの行動は破滅させられてしまふであらう。だがいつたい歴史のうちに理性は存
在するのであるか。存在するとすれば、それは我々の情熱と如何なる関係にあるであらうか。
 歴史の理性といふ言葉によつて誰もが想起するのはへ−ゲルである。ヘーゲルは歴史における
理性の支配を信じた。歴史において如何に非合理的と見えるものも、この理性の支配に抵抗し得
るものでなく、却つてけつきよくこの支配に仕へてゐるのであつて、理性はつねに自己を貫徹し、
                                                                          ヽll
自己を資現する。かやうな理性の主権を示してゐるのは、あの有名な「理性の汝智」である。へ
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1ゲルに依れは、
歴史において理性が自己を資現するために用ゐる手段は個人の情熱である。人
間の行動の動機のうち最もカがあるのは欲望や激情や利害の関心である。もちろんそこにはまた
普遍的な目的、善への意志、高貴な組囲愛などが存在してゐる、けれどもそれらの徳や普遍的な
ものは僅かな比例で働くに過ぎぬ。これに反して激情、特殊的な利金の目的、私慾の変求は最も
強力なものである。個人はこのやうな激情を満足させるために行動する、しかしその際彼は、賓
は普遍的な理性のために行動してゐるのである。時珠的な激情によつて存在に斎らされたものは
消滅し、その中から理性的なものが資現されて現はれてくる。個人をして自己の欲望を満してゐ
るかのやうに思はせたのは理性の汝智であつて、理性は、存在の頁税を自分自身からでなく、個
人の激情から支排ふことによつて歴史のうちに、自己を資現するのである。
 理性の汝智といふ思想にはなかなか興味深いものがある。我々はそこに歴史に封する烈しい現
音感を認めることができるであらう。賓際、歴史を個人の主観的な動機から判断することは間違
ってゐる。歴史の心理的説明は不可能であると思はれる。歴史は狭陰な道徳家の動機論を超えた
ものである。そこには幾多の不正、不道徳が行はれてをり、小心な人道主義者の「雷惑した悲
衷」は檜すはかりである。けれども我々は悲しむことはない。理性は自己自身から貢税を支沸つ
てゐるのではないからである。個人が自分の功名心や虚栄心、私利や利慾を満足させるために働
いてゐるのは理性の汝智に操られてゐるのである。犠牲にされるのは理性でなく、却つて理性は
個人を犠牲にして自己を輝き出させる。このやうにしてへ−ゲルは、歴史を主観的な動機からで
なく客観的な意味に従つて把握し許債すべきことを我々に教へてゐる。行動の動機に拘泥するの
は理性の汝智を理解しないものである。動機が何であらうと、歴史は、これを踏み越えて理性的
な内容を資現してゆく。事件の動機のみを穿蓋してゐて、その間に事件の薔展が最初の動機とは
別の客観的な意味を現はしてきたことに気附かないでゐるやうなことがあつてはならない。例へ
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ば、現在の支郷事攣において、最初の暴支階懲といふが如きスロトガンから最近の東亜協同憶論
に至るまで、種々の攣化があつたことは、この事欒がその蓉展の過程において現はしてきた理性
的な意味を追求する努力を表現すると見られるであらう。
しかし我々は理性の著といふが如き思想に満足し得るであらうか0それは個人を理性の僻興す負マ人山
に過ぎぬものにしてしまふことである○個人は自己の目的のために働いてゐると考へてゐる、し
かるに賓はそれとは別の目的のために手段として使はれてゐるに過ぎない。理性の校智といふの
は個人をこのやうに伐偶として用ゐることである。我々は、たとひそれが理性の悦備となること
であるにしても、促偶となることに甘じ得るであらうか。もとより個人は軍に自己目的であるの
ではない、個人は同時にまた普遍的なものの手段であると考へられねばならぬにしても、ただ畢
に手段であるに過ぎない場合、我々は自己の存在に意味を見出し得るであらうか。またもし理性
はつねに結局自己を賓現するものであるとすれば、
何故に我々は傍観者として静成するに止まつ
                il▼ミ
てゐてはならないのであり、何故に我々は自己を速に破滅にまで導く情熱に身を委ねなければな
らないのであらうか。すべてこれらの、そしてその他類似の疑問はハ
へ−ゲルの客観主義的立場
に附随してくるものである0従つて歴史のうちに理性を認めることは軍なる客観主義の立場をと
ることであつてはならないであらう。歴史の理性は畢に客観的なものであることができないであ
ら、フ0
 徹底的な理性主義者であつたへIゲルが、たとひ理性の汝智といふ名目においてであるにせよ、
個人的なもの、特殊的なもの、主観的なもの、非合理的なものを彼の歴史哲学の中に導き入れた
といふことは、注目すべきことである。歴史は軍なる客観主義の立場からは考へられない。歴史
の動力のうちには主観的なものがなけれはならぬ。情熱なしには歴史における如何なる偉大なこ
とも為し遽げられない、とへ−ゲルも云つた。歴史の理性は軍に客観的なもの、畢に普遍的なも
の、畢に法則的なもの、畢に合理的なものであることができぬ。それだからへIゲルもまた個人
の欲望や激情の如きものに何等か位置を輿へなけれはならなかつたのであるが、彼の本来の客観
主義、普遍主義、合理主義の立場は、それら主観的なものに正普な意味を認めることができず、
畢にそれを理性の「夜智」としてのみ理解し得るに過ぎなかつたのである。理性の夜智といふ思
想はたしかに過去の歴史の多くのものを巧に説明するやうに見える。だが過去の歴史は或る意味
においてあらゆる説明を容れ得るものである。「歴史はひとの欲する通りのものを澄接立てる。
それは厳密には何物も教へない、なぜならそれは凡てのものを含み、そして凡てのものの例を輿
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できないであらう0過去の歴史の解繹はともかい、現在我々が責任をもつて行動しょうといふ場
                                                                                                                                                                                         .■ .■l■
へるからL、とヴァレリイは書いてゐる。
                     二五四
我々はもとよりヴァレリイ的懐疑についてゆくことは
▲      −      I盲−il一
ヽ′l−
合、我々の存在の意味を獲得するために行動しょうといふ場合、
理性の牧智といふが如き思想に
我々が頼り得ないことは明かである0歴史の理性は単に歴史の解繹の原理であるのでなくて歴史
における行動の原理となるやうなものであることを要求されてゐる.


■■■−
歴史の理性はへ−ゲルにおいて形而1挙的なものであつた。彼の形而上学に反対した人々は一
層賛讃的な造をとらねはならぬと考へたが、それらの人々もまた或る意味において歴史のうちに
理性的なものを確認しょうと努めたのである0彼等の求めた歴史の理性は歴史の法則にほかなら
ない0恰も自然科学者が自然の法則を薔見しょうとするやうに、彼等は歴史の法則を蓉見しょう
とした0歴史を構成する現象の各領域においてその客観的な法則が探求された。れやうな努力は
確かに有意義なことである。
それは賛蹟にとつて滝必変なことである。自然に服従するのでなけ
れは自然は征服されないといはれるやうに、
物を攣化し物を作らうとする場合、
我々はその物の
1.与▲′Hl一一ll
客観的な法則を知らねはならぬ。法則の認識なしには、我々は有意義に行動することができぬ。
経済的に有意義に活動しようとする者は、経済の法則を知つてゐることが必要である。控済の法
則を無税して如何に強力をもつて経済に干渉しょうとしても失敗に終るのほかないであらう。行
動は認識を軟くことができない。歴史は我々の作るものである。しかし我々は、軍に主観的な情
熱から、畢に主観的な意固から、歴史を作り得るのでない。歴史を作らうといふには、我々は先
づ歴史をどこまでも客観的に、科挙的に研究しなけれはならぬ。認識は行動に反するものでなく、
却つて賓践的意志が認識の根源である。自然を欒化しようとする意志から自然科挙は生れた。法
律寧、経済学等の諸科挙も、杜曾的賛成的生活の中から生れたのである。かやうにして、もし歴
史の理性といふべきものがあるとすれば、
それは科挙的に確かめられ得る歴史の客観的な法則で
なければならないと考へられるであらう.
 歴史の科挙的認識はどこまでも必要である。科挙はどこまでも必変であるが、しかしそれがい
はゆる科挙主義になる場合、そこに行き過ぎがあり、踏み外しがある。
信頼することと科挙主義とは同じでない。科挙主義は客観主義である。
科挙を尊重し科挙のカに
しかるに歴史は軍なる客
観主義の立場からは具憶的に捉へることができぬ。例へは電燈や電車は歴史的に作られたもので
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ある・それらは電気の法則に従つて作られ、またこの法則に徒つて作用してゐる。電気の法則そ
のものは、電燈や電車が蓉明される以前においても、杏、その法則が蓉見される以前においても、
眈に存在した0自然法則は自然のうちにつねに働いてゐるけれども、自然は電燈や電車を生みは
しないであらう0それらのものが作られるためには、即ち電気の法則が電燈や電車の形をとつて
法則と人間の主観的な意志の綜合として作り出されたものである。
                                          ▲fl一一−1一l1111i_lI1.1I▲.■.
存在するためには、人間の意欲が加はらなけれはならぬ。
如きものである。
それらの技術的な形は自然の客観的な
すべて歴史的なものはかくの
従つてそれは単なる客観主義の立場からは具憶的に捉へることができぬ。我々
              −             1】  −
がそれによつて聞を照らさうと欲する電燈、我々がそれによつて迅速に交通しょうと欲する電車
                                 ‡〜
則を認識しょうとする努力さへ不要であるであらう0ちやうどそのやうに、軍なる客観主義の立
11与一一lll11I
が自然的必然的に生れてくるものであるなら、
我々はただ傍観してをれば好く、電気について法
場においては我々は我々の歴史的行動を眞に意義付けることができない。
き■
人間は歴史の外にある
のでなく歴史のうちに立つてゐるのである。
主観的なものはもともと歴史の中に入つてゐる。

史を単なる客観主義の立場から考へることは油象的であることを免れない。物をどこまでも客観
的に認識しようとする科挙でさへ、
人間の賛践的意固から、技術的な目的から生れたのである。
かやうにして歴史は我々の作つてゆくものである限り、歴史の理性は技術的な理性、或ひは、「按
術的知性」といはれる如きものでなけれはならぬであらう。技術の本質は主観的なものと客観的
なものとの統一、客観的な法則と主観的な意欲との綜合であるところに存してゐる。
 技術は人間の歴史と共に古いといふことができる。人類学者や考古学者は、いはゆる先史時代
の諸時期を人間が用ゐた道具の種顆によつて直別してゐる。しかるに少くとも固有な意味におけ
る科挙は、西洋において、近世に至つて現はれたものである。それ以前においては、西洋におい
ても、技術と哲学乃至形而上学とは分化されずに存在してゐた。もとより技術は遥かに古くから
あつたのであつて、技術は初め魔術の如きものと考へられてゐた。科挙がなかつたといはれる東
洋においても、技術はもちろん行はれてゐたのである。ところで西洋における近代科学の教達は
技術の飛躍的な教展を斎した。しかるに注目すべきことには、その西洋において、技術について
の反省、その哲学的反省は、科挙についての哲学的反省 − その古典的な書物はカントの『純粋
理性批判』であるiに遅れて、やつと十九世紀の後半に至つて、即ち近代杜曾の諸弊害が漸く
箱書になり始めたときに至つて、現はれたといふことである。言ひ換へると、技術についての反
省は近代文化の批判として現はれたのであり、更に言ひ換へると、近代文化の理念は技術の哲挙
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的理念において把握されたものではないのである。近代文化の理念は寧ろ科挙の理念であつた.
その根抵にあつたのは依然として観想的人間或ひは叡智人(ホモ・サピエンス)の人間撃であつ
て、賛践的人間或ひは工作人(ホモ・ファーベル)の人間寧ではなかつた。工作人の人間寧は技
術についての反省と共に、徒つてまた近代文化の批判と共に生れた。
この人間寧は、理性を人間
の本質と見た叡智人の人間撃に封して、欲望や衝動を、従つてへ−ゲルが理性の汝智に蹄したと
ころのものを重要硯した。
尤も、それが知性を副次的なもののやうに考へたのは間違つてゐる。
なぜなら、工作即ち技術的生産は科学を前提としなけれはならないから。かやうにして近代文化
の理念が科学の理念であつたのに封して、
新たに創造さるべき文化の理念は技術の理念でなけれ
ばならぬと云ひ得るであらう。
近代文化が観想的人間或ひは叡智人の人間挙を基礎としたのに封
して、新文化の基礎は賛践的人間或ひは工作人の人間撃でなければならぬと云ひ得るであらう。
この場合直ちに起り得べき一つの疑問は、技術は人間生活にとつて要するに手段であつて目的
ではない故に、
技術に文化の理念を求めることは文化を手段化し、人間生活そのものを功利的な
ものと考へることではないかといふことである。
しかし人間の行動はそのすべてにおいて技術的
である。技術にも種々の段階が考へられるであらう。
物質的生産の技術もあれは、統帥の技術も
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あり、政治の技術もある。蛮術も技術であり、道徳も技術であり、科挙や哲学における論理的操
作の如きも技術である。そしてアリストテレスが考へたやうにそれらの技術の閥に段階的秩序を、
技術のアルヒテタトニックを考へることができる。より高い技術はより低い技術の目的である。
技術は畢に手段であるのでなく、それ自身のうちに理念的なものを含んでゐる。そして我々にと
つて今問題であるのは技術の理念である。かくいふ技術の理念とは如何なるものであらうか。
近代文化の理念は科挙の理念であつた。その科挙の理念は法則である。法則は一般的なもので
あり、その限り抽象的なものである。科学が法則を求めることはもとより、それ自身としては意
味のあることであり、法則の認識は技術にとつても必要なことである。しかしかやうな科挙の理
念が文化一般の理念とされるとき、文化は抽象的なものになる。近代文化の抽象性、その抽象的
な合理主義もそのことと無関係でないと云へるであらう。科挙の理念が法則であるとすれば、技
術の理念は形(フォーム)である。科挙は認識し、技術は生産する。技術の作り出すものは形で
ある、すべて技術的に作られたものは形をもつてゐる。形は、既に云つた如く、主観的なものと
客観的なものとの綜合として作られるものである。それはまた畢に一般的なものでなく、一般的
なものと特殊的なものとの統一である。技術家、特に教明家の能力といふのは、一般的な法則を
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形に轄化する能力であり、すべての斉践家の能力はまたかくの如きものであると云ひ得るであら
う0形は一般的な針のと特殊的なものとの統一として個性的なものである。形は唯一つの形があ
るのでなく、一つの形は他の形に対して形であり、形は多様なものである。形の個性は作り出さ
れるものが生命的なものであるに従つて愈々個性的である。かやうに個性的なもの、攣止なもの
が作り出されることが創造であり、歴史は創造的であると云ふことができる。歴史の理性は法則
でなくて形である0歴史といふ針れが一つの形から他の形への欒化薔展である。そして形は主観
的なものと客観的なものとの綜合、一般的なものと特殊的なものとの綜合であるとすれは、かや
うな綜合の能力は理性であるといふよりも構想力である。構想カは畢に知的なものでなく、むし
ろ知的なものと感情的なものとの統一である。歴史の理性とは構想カのことであると云ふことが
できるであらう。                                   −


        三

 既に述べた如く、固有な意味における科挙は、その資質においてやその理念においても、近
                                                                    i■
代杜曾の産物である0近代杜曾は杜曾学者のいふ固有な意味におけるゲゼルシャフトである。ゲ
■■
ゼルシャフト的文化は科挙の理念に定位をとつてゐる。しかるに近代的ゲゼルシャフト以前の杜
合には、よし科挙は存在しなかつたにしても、技術はつねに存在してゐた。かかる杜曾は杜曾学
者のいはゆるゲマインシャフトの性質を有するものであるが、かかるゲマインシャフト的文化の
理念は形であつたと云ふことができるであらう。近代哲学は、その代表者カントにおいて見られ
るやうに、自然科挙に定位をとつてゐる。これに反してプラトンやアリストテレスによつて代表
される哲学の中心思想は形の思想であつた。プラトンのイデアといひ、アリストテレスがエイド
スといふものは、元来、形を意味してゐる。しかもイデアやエイドスは軍なる客間的な形或ひは
固形即ちスケマといはれるものに封して、元来、生命的なものの形を意味したといふことが指摘
i‡
されねはならぬ。それと共に他方東洋の停統的な哲撃、東洋的ゲマインシャフトの哲学において
も、その中心思想は形の思想であつたと云ふことができるであらう。東洋思想は物の形、物の相、
物の眞のすがた、物の賓柏を捉へようとしたのである。探求されたのは、科挙における法則の如
きものでなく、却つて形相であつた。そして東洋思想において考へられた形も生命的な形であつ
た。東洋的な自然は近代科挙の客観的自然とは異り、むしろ主観的なもの、或ひはむしろ主観的
にして客観的なもの、生命的なものであつた.

    歴史の理性
二六一

二六二
おいても、西洋哲学はこれを客観的な方面から捉へょうとしV
ミllI−J一壬とl−葺
もしここに東洋思想と西洋思想との差異を考へ
るならば、
同じやうに形が問題であつた場合に
東洋哲学はこれを主観的な方面か
e捉へょうとしたといふやうな差異が認められるであらう。
かくしてプラトンやアリストテレス
の哲学におけるイデア或ひはエイドスは形であると同時に「概念」を意味し、形の思惟はかやう
な栂念の思惟として近代科挙の中へ流れ込むに至つたのである。しかるに形はもと多様なもので
ある0イデアは多である0多様な形は一つの概念乃至法則に包括されることができない、それら
が一つの概念乃至法則に包括されるとするならば、それらはもはや形でない。それぞれ攣止な形
を一つに包むもの、一
つに統一すeものは概念や法則の如きものでなく、また軍なる形の如きも
のでもなく、寧ろ形なきもの、形なき形でなけれはならぬ。
             ’
東洋における「無」の思想はまさに
かくの如きものを意味してゐると理解することができる。
無はすべての形を包むもの、統一する
                                                                                    i
もの、形を越えて形なきもの、形なき形であり、形の根源であつて形と一つのものである。西洋
哲学においては形が客観的な方面から捉へら打て概念となつたのに反し、東洋哲学においては形
はむしろ主観的な方面から、無との関係において捉へ
られた。東洋において技術は存在しながら
科挙が額達しなかつた理由も、哲学的にはかやうな関係から理解されるであらう.
b「
 新しい文化の理念は技術の理念に求められねはならぬ、と我々は云つた。新文化の理念もまた
形である。そしてそのことは、新たに創造さるべき祀曾秩序の理念が近代的ゲゼルシャフトを超
えた新しいゲマインシャフトであろといふことに相應してゐる。この新しいゲマインシャフトは
舌代的・封建的ゲマインシャフトの如きものでなく、近代的ゲゼルシャフトを自己のうちに止揚
したゲマインシャフトでなけれはならぬ。従つてその文化もまた軍に直観的なもの乃至非合理的
なものを理念とするのでなく、近代的合理主義をどこまでも自己のうちに止揚したものでなけれ
ばならぬ。

してゐる。
そこでは飽くまで科挙が尊重されねはならない。まさに技術の理念がそのことを要求
技術は科挙を基礎としなけれはならず、科挙の蓉達が技術の蓉達の前提である。他方、
科挙はまた祀曾における技術的課題の薔展に應じて教展するのである。技術は科学を基礎とする
けれども、科学と畢純に一つのものであるのではない。技術は科挙の法則を形に持化するもので
あり、形は畢に一般的なものでなく、一般的であつて特殊的なものであり、また形は畢に客観的
なものでなく、客観的なものと主観的なものとの統一である。今日我々の課題となつてゐる新文
化の創造は、新しい形の構想であり、
やうな形の創造に封して無力である。

     歴史の理性
新しい形の創造でなければならぬ。寧なる客観主義はこの
客観主義乃至いはゆる科挙主義は物を批評することはでき

                        二六三

                                            二六四
る・その批評は度々我々の傾聴すべきものをもつてゐる、それが批評に過ぎないからといつて我
我は耳を塞いではならぬ0しかし畢なる客観主義からは何物も、科挙でさへもが、作られないの
である。
新文化の創造は東洋文化の停統につながらねはならぬと云はれてゐる。新文化の理念としての
ヽ壬●i■書                  弓.一11.一一−1 一 一一1 一 】 一 .
形の理念は東洋文化の侍統への通路となり得るであらう。東洋文化の中心的観念はその濁特の把
握における形の思想であった。形は主観的なものと客観的なものとの綜合である。形がかやうな
ものとして作り出されるところに、我々はその主観的な契機として我々の民族的なもの、東洋的
なものを生かし、且つこのものを客観的に表現することができるであら、つ。形はそれぞれ特殊な
ものであり、個性的なものである。近代文化は抽象的に普遍的な理念をもつてゐた。形の理念は
そのやうな抽象的に普遍的な理念を破るものであり、
それぞれの民族の文化がそれぞれ個性的な
ものであることを変求するのである。もとより東洋文化の停統に遣るといつても、軍なる直観主
義の立場に選ることではない。新しい形は科挙に媒介されて作り出さなけれはならぬ。しかしま
た従来の科挙主義が−科挙そのものは決してさうではないに拘らず−直観を不常に軽蔑して
ゐたのに封して、形の哲学は直観に正しい意味を認めることができるのである。ただ、直観とい
ヨ。頴∧丸「11
つても素撲なもの、単なるインスピレーションといふが如きものではない。頚明家の蓼明は究極
において直観に基くものであり、偶然とさへ云はれ得るにしても、かやうな直観、偶然でさへも
が到来するためには、彼の平生の努力、仝過去の経験と知識とが必要である。直観とはすべての
l壬1−−王l■1一1IJ一幸一ll
過去が未来に向つて現在の一つの鮎において燃焼することである。「直接的なもゐは結果であ
る」、といふへIゲルの言葉はここでも妥嘗するであらう。
東洋文化の特質であるとされてゐる生活と文化との融合、自然と文化との統一といふが如きこ
七も、文化の技術的理念と結び付けられることができる。技術は生活と融合した文化である。そ
れ自身としては容易に常識化し得ない科挙も、技術的形態をとることによつて、我々の生活常識
                                                                             ‡
の中へ入つてくる。またすべての技術は習慣化するといふ性質を自己のうちに具へてゐる。技術
は習慣化することによつて自然的なものとなる。習慣は自然の如きものであり、自然は習慣の如
きものである。知性は科挙として自然から離れるとすれば、知性は技術として再び自然へ還るの
である。更に如何なる自然的生命的なものも形をもつてゐる。この形は極めて廣い意味において
‡lI一■−1−一11111−−1一■‡▼
技術的なものである。鳥の形は技術的な形であると見ることができる。それは鳥といふ主饅がそ
iilll■I′i・・,
の生活する客中といふ項墳に封する作業的適應の関係として生じたものである。人間の技術もこ
歴史の理性
二六五

のやうに人間と項境との作業的邁應の関係から生じたものであつて、
町のを表現すると共に項填的客澄的なものを表現してゐる。
ニ六六
その技術的な形は主憶的な
形は環境の性質によつて異らねはな
らぬ0鳥の形と魚の形とは同じであることができぬ0自然は形を作り出すものであり、自然の形
      −




                                                                    ヽl
も技術的な形であるとすれは、人間の技術は自然を絶繚すると考へることができるであらう。自
然と文化とはこのやうにして技術の理念を通じて統一的に見られることが可能である。
 かくして歴史の理性といふものが如何なるものであるかが知られるであらう。それは自然の歴
史と人間の歴史とを通じて働いてゐるものである0歴史の理性は畢に客観的なもの、我々の参加
なくして賛現されるやうなものではない0それはまた固より軍に主観的なものではない。それは
主観的であつて、客観的なむのである0人間は歴史のうちに入つてゐる、人間は創造的な歴史的
世界の創造的な要素である0創造といふのは攣皿なもの、形のあるものが作られることである。
人間の身慣の形の如きも歴史において形成された技術的な形である。人間は歴史的世界から生れ
て、歴史的世界のうちに生き、歴史的世界のうちで働く。すでに人間は歴史的世界に入つてゐる
ものである以上、人間はそのすべての存在において客観的なものであると云はねはならぬ。人間
はもとより畢に客観的なものでなくて主観的なものであるが、その主観的といはれるものが客観
的歴史的なものである。抽象的な主観主義から脱却することが我々にとつては必要である。抽象
的な主観主義は近代の個人主義と共に現はれたものであつて、人間は主粧として何虞か世界の外
にゐるもののやうに考へられたのである。抽象的な主観主義は抽象的な客観主義とつながつてを
り、その立場においては世界も抽象的に客観的なものと考へられねはならなかつた。今日我々に
                                                                               ヽl
とつて最も重要なことは、人間のリアリティについての具慣的な意識を獲得することである。我
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我の欲望も衝動も感情もリアルなものである。それらは我々の歴史的環境から離れて存在するも
のでなく、我々の歴史的環境から生れたものである。我々の欲望も衝動も感情も歴史的なもので
ある。形は主観的なものと客観的なものとの統一として作られるのであるが、その場合もしこの
主観的なものが畢に主観的なもの、全く琴意的なもの、ただ特殊的であつて何等の普遍性も有し
ないものであるとするならば、それは形において表現されることも不可能であらう。そこに我々
のモラルが考へられる。しかも我々のモラルとして今日最も大切なことは、人間のリアリティに
っいての自覚を同復することである。歴史の理性を軍に客観的力ものと見るのに反封することに
ょって、我々は主観主義を唱へようとしてゐるのではないのである。主観的なものと客観的なも
のとの統一は、技術において明かである如く、我々の賓践による物の攣化を通じて、形において、
歴史の理性
二六七\

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いはば客観的なものの勝利として、イデー的なものの勝利として資現されるのである。主観的な
                                                              −
ものは客観的なもののうちに形として表現されることによつて自己のリアリティを賓澄する。歴
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史は単なる紳話ではない0歴史はイデー的なものである0歴史の理性は構想カの如きものでなけ
ればならぬといつても、それは畢に主観的なイメージュの如きものをいふのではない。もとより
イメージュも大切であり、我々はイメージュをもたねはならぬ0しかし究極の問題はイメージさ
でなくてフォームであり、フォームとは物の攣普通じ〔如劉山引山るフォムのこと
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くものである0その我々は歴史的世界のうちにおいてこの世界から創造されたものであり、我々
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は歴史的世界の自己攣化に早王的に参加するこの世界の創造的要素であり、歴史の創造に早王的
引引封々は我々のリアリティを獲得してゆくのであり、我々のリアリティを
である0歌はぬ詩人を歴史は詩人とは認めないであらう。
形は我々の行動を通じて形成されてゆ
澄明してゆくのである。
今日、霊の新秩序の建設とか新文化の創造とかが我々の課題であるといふ場合、歴史の理性
とは如何なるものであるかを考へてみることが必要であらう0それせ単に客観主義的に把握する
ことは間違つてゐる0しかしながら、霊の事態、世界の情勢、囲内の現賓について正確な科学
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的な認識をもつことはどこまでも必要であつて、この認識を無成しては如何なる新秩序も新文化
も作られない。科学は飽くまでも尊重されねばならぬ0我々が科学の理念に封して技術の理念を
術とは直別されながら密接に結び付いたものであろ0ただ文化の一般的な理念としては、科挙で
掲げたのは、科学を放しめるためではなくて、
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いはゆる科挙主義を排するためである。科学と技
なく、科学を一定の仕方で自己のうちに止揚した技術が考へられねはならないのである0我々が
技術の概念を力説するのは理論科挙を庇しめて應用科学をのみ重んずるといふが如きことも全く
無関係である。更にいはゆる技術主義、技術萬能主義の如きものも我々の念頭には全くないので
ぁる。我々は歴史の理性といはれるものが如何なるものであるかについて若干の哲学的考察を行
ふことによつて、
一方、科学的と稲して傍観的である者に反省を輿へると共に、他方、非合理主
義を唱へることによつて歴史を軍なる神話に化してしまはうとする者に封して反省を輿へようと

欲したのである。現在の時局はそのいづれに身をおくにも徐りに重大である0我々は時局に封す
る眞の責任を自覚した協力者でなければならぬ。
歴史の理性
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