霊魂不滅


 高等の学校で学生に対して霊魂不滅の思想を吹き込めといふ意見が近頃あるとのことである。これはもちろん戦争に出て命を棄てることを恐れない用意として必要だと考へられるのである。
 霊魂不滅などと云つても今の世の中では冗談としてしか受取らない者が多いであろう。しかしそれは決して冗談ではない.今度の事変を機会にして我が国に「宗教的な」時代が来ないとも限らないからである。
 霊魂不滅はもとより真面目な問題であらうが、学生に対してそれをほんとに教へ込み得るやうな教師が果して幾人あるであらうか。霊魂不滅を専門にしてゐる宗教家ですらそれを実際信じてゐない者が大多数なのである。哲学者は商売柄、霊魂不滅について種々論証し得るかも知れない。けれども論証は未だ信仰ではない。
 霊魂不滅はともかく今日いはゆる非常時に処しては特に後世の人に笑はれないやうに行動したいものだと思ふ心をしつかり落附けて後人の笑を買はないやうにしなければならぬ。そしてすベての者が自分の力に許される限り後に来る人のために、つまり歴史の真の進歩のために尽すといふ覚悟が大切である。かやうな覚悟は霊魂不滅が真であるとしても、それとは矛盾しないものであることだけは確かである。むしろその覚悟が我々の理解し得る唯一の霊魂不滅の信仰であらう。しかもその覚悟は歴史の発展についての明確な認識を必要とするのである。ところで現在、霊魂不滅を説教したり論証したりしてゐる者の中には、後世のことなど全く問題でないかのやうに振舞ふ者が却つて時節柄しだいに多くなつてくるやうである。

12.10.5 夕刊大阪新聞