哲学と教育


 哲学と教育との関係について先づ考へられることは、科学の一分科としての教育の基礎附けの
問題である。教育の挙的基礎附けには哲学が必要であり、教育学の仝慣系はこの哲学的基礎附け
に制約されてゐるのであつて、徒つて哲学の研究は教育家にとつて大切であると考へられる。そ
れは就中新カント渡の哲学者、ナトルプその他によつて力説された所である。
 この認識は疑ひもなく正しいであらう。しかし私が今主張しょうとすることはその鮎に関して
ゐない。蓋しこの認識は現在我が国において十分に普及してをり、そのために寧ろ弊害すら生じ
てゐるほどである。我が国における哲学の讃者の重要な部分は教員であると云はれてゐる。これ
は固より喜ぶべきことに相違ないが、またその結果、教育における方法論の偏重、従つて教育の
形式化乃至抽象化、或ひは教育の流行哲学への無批判的な追随(現象学的教育学、将澄法的教育
寧、仝憤主義的教育学、等々の族生)なども見られるのである。
 攻に哲学と教育との関係について考へられることは、哲学の一部門としての教育哲学の建設の
問題である。右の第一の関係が主として教育家に対して要求されるに反し、この第二の関係は主
として哲学者に封して要求される。即ちこの場合哲学者は、法律哲学、蛮術哲学等を建設すると
同じやうに、教育哲学を建設することが必要であると云はれるのである。
 この要求も勿論理由のあることである。我が囲の哲学研究者の間では最近特に憶系への意囲が
穎著である。これは確かに喜ぶべきことに相違ないが、しかしそのために例へは哲学史の研究の
如きが不普に軽祓され、専門の哲学者の間においてすら哲学史については非科挙的なデイレツタ
ント的取扱ひ方が見られるといふ有様である。しかも憶系的と稀する哲学もその内容が何等組織
的に分化してゐないといふことが、日本の現在の哲学に特徴的なことである。教育哲学の如きは
殆ビ眞面目に問題にされてゐない。膿系の力は分化することにおいて讃され、統一の力は多様な
もののうちにおいて示されるのではないか。分化しない憶系といふものは考へられない。しかし
私が力説しようとすることは教育哲学の問題に関してゐない。
 私が今主張しようとするのは却つて哲学は教育であるといふ畢純な命題である。それは哲学の
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一部門としての教育哲学の問題でもなければ、科学の一分科としての教育と哲学との関係の問題
でもなく、却つて哲学が謂はば全饅として教育であるといふことである。徒つてそれは哲学の組
繊に関するよりも哲学する精神そのものに関してゐる。この頃我が囲においては「科学的精紳」
について種々論ぜられて来たが、「哲学的精神」については未だ十分に反省されてゐない。私が
今取上げようとするのはこの哲学的精紳の問題である。
 その際我々は、近年民族主義的思想の影響のもとに我が国において行はれつつある一つの俗説
を排ひ退けなければならない。即ちそれに依れば、西洋の哲学は畢なる「撃」であるに反して東
洋の哲学は行動性を含む「教」であるといふのである。もし教と小ふことを、それがおのづから
理解させるやうに、宗教的意味に取るとき、東洋の俳教哲学は固より支那哲学の或るものも教で
あるとすれは、西洋においても中世のキリスト教的哲学は勿論、ギリシア哲学の或る部分も教で
あると見ることができる。それはともかく、もし教といふことを教育の意味に取るならは、教で
あるのは東洋の哲学のみでなく、ギリシア哲学を端初とする西洋の哲学も教であつた。然るに特
に注意を要することは、ギリシア以来「畢」であらうとした哲学は「教」も寧的基礎と挙的内容
とを有することによつて初めて眞に教であり得ることを自覚したといふことである。この自覚が
”滋≠潅宗`も.、
まさに哲学的精神にほかならない。東洋の哲学は教であるに反し西洋の哲学は撃であるといふ夙
に簡軍に直別する俗説はこの自覚の重要な意味を理解しないものである。それは我が囲の現在の
教育が智育偏重であるとする俗論と軌を一にするものと云はねばならぬ。

       ニ

 哲学はその端初において教育であつた。哲学の端初はギリシアに存し、ギリシア哲学の歴史に
おいて、従つて一般に哲学の歴史においてソクラテスが比びなき位置を占めてゐるとすれは、そ
の最も大きな意義は、哲学は教育であるといふことが彼において眞に憶現されたところにある。
ソクラテスにおいて哲学は、従来民族的宗教を地盤として囲民の教育を司つて来た悲劇文学に代
り、深い自覚をもつて囲民の教育を身に引受けたのである。ソタラテスの人格には何か濠言者に
似たものがあつた。しかし彼はそれ以上のものであつた。破の偉大さは、自己の教説を啓示され
たものとして人々に信仰を押し付けることなく、却つて人々が彼等自身の活動によつて眞理を探
るやうに要求し且つ指導したところにある。エドウアルト・マイヤーがその名著『古代史』の中
で述べてゐる如く、ギリシア精紳の蓉展は新しい宗教に至らず、ただ学問の創造に達せざるを得
哲撃と教育
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なかつたのであるが、かかる学問の創造とソクラテスの人格とは離れ難く結び附いてゐる.彼の
活動は本質的に教育的であつた。そして眞の教は眞の撃でなけれはならず、眞の寧は眞の教でな
けれはならぬといふ事が彼の番見であつたのである。
 かくの如く哲学はその端初に従つて教育であるのみでなく、その本質においても教育でなけれ
ばならない。蓋し端初が眞に端初の意味を有するのは、そのうちに蓉現した本質のカによつてで
ある。哲学は仝慣の寧であると云はれてゐる。それは個々の専門的知識でなく、却つて仝憶の知
識であり、普遍的考察を意味してゐる。しかし哲学はつねに畢なる普遍的考察以上のものであら
うとする衝動を有した。賓際、もし哲学とはただ仝憶の寧である`するならば、今日学問的宇宙
が個々の特殊科挙に分割されてしまつた後においては、哲学はもはや死んだものとも考へられる
であらう。しかも他方、それらの個別科挙の認識も無数の綿をもつて仝憶に繋がつてをり、専門
的に特殊領域を研究しながらつねに普遍的考察に向つてゐる限り、それらは哲学であると云はれ
ることができる。事資、もし最上の哲学とは普遍的で同時に具債的な知識であるとするならば、
今日における最上の哲学者は所謂哲学者でなく、寧ろ特殊科学者、経済学者や歴史家、物理学者
や数学者であると考へることもできるであらう。
誓書ん■
J誉や柵箋
 しかしながら哲学は、古くから畢なる普遍的考察以上のものであらうとした。言ひ換へると、
それは世界観を輿へようとした。世界観は固より仝憶の把握、普遍的考察を意味してゐる。しか
し世界観は同時に債値判断を、償値の憶験された位階の設定を含んでゐる。即ち哲学は客健的に
把握された「世界像」を含むのみでなく、まさに「世界観」として世界の主慣的鬼把握であり、
かかるものとして債値判断を含んでゐる。新しい哲学の出現はそれ故に世界像の攣草であると同
時に「償値の樽換」(ニーチェ)を意味するのである。
 かやうに債値の位階の設定者、償値の時換者であるところから、カール・ヤスパースは、哲学
は「務ユ一一口者的哲学」として本来の哲学であり、その鮎において科挙から直別されると見てゐる.
この預言者的哲学の理念は、科挙についてのマツタス・ウェdハーの所謂「没債値性」の理念に
関聯してゐる、即ち一方科挙に封して債値判断から自由であることを厳しく要求するだけ、それ
だけ他方哲学に封して償値秩序を決定することが烈しく要求されるのである。
 然るに歴史的祀曾的資在に関する科挙に対して一切の償値列断からの攣止を要求することが少
くとも不可能であるに近いと同様、あらゆる哲畢者に対して預言者であることを要求するのは少
くとも極端に過ぎるであらう。科学者と哲学者とが別の型に属する如く、哲学者と務言者とは別
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の型に属してゐる。偉大な哲学者には固より何か確言者的なところがあるであらう。しかし彼は
哲学者として軍に後の信仰を停へる者でなく、飽くまでも認識を求める着でなければならぬ。同
時に彼にとつて畢は教である。即ち我々は哲学の理念を準富者としてよりも寧ろ教育者として考
ふべきである。


        lニ

 哲学者は責任を名はない観想者でなく、世界を動かす者、世界を形成する着でなければならな
い。かかるものとして哲学者は教育者でなければならない。なぜなら教育.の本来の意味は形成と
いふことであるから、教育者である哲畢者の人格のうちには時代と、その運動と、その間超とが
現在的でなければならない。彼は時代を曇りなく明かに且つ最も資饅的な仕方で表現する着でな
けれはならない。時間的なものを「永遠の柏のもと」に眺めるのでなく、寧ろ永遠なものを「時
間の相のもと」に賓現するといふことが教育としての哲学の理念でなければならない。
 云ふまでもなく、教育としての哲学は学校教師になるための哲学教師用の哲学のことではない.
今日我が国の哲学はこの全くトリヴィアルな意味において教育的、飴りに教育的であることによ
つて本来の哲学的精神を喪失してゐると云へるであらう。職業的な教師気質の制限から脱却する
ことによつて哲学は却つて眞に教育的な、言ひ換へると、世界を、祀曾を、人間を形成する力と
しての哲学となり得るであらう。
 哲学が行為の立場に立たねばならぬといふことは今日我が国の哲畢者の間で殆ど全く常識化し
てゐる。然るに行為は一般的な抽象的な行為があるのでなく、つねにただ具饅的な歴史的な行為
があるのみである。従つて眞に自己の責任において行為の立場に立たうとする哲学者はこの現代
の、我々の棲息する杜曾の問題に封して身をもつて解決に首る決意から哲学しなけれはならない.
時代の問題を同避し、その解決に封して責任を名はうとしない哲学が如何にして行為の立場に立
つなどと云ひ得るであらうか。教育はただ現資に存在するものを相手としてのみ行はれることで
ある。かかる柏手とは我々が自己の周囲に見出し且つ我々がその中に生活してゐる現資の、この
現在の杜曾以外のものでない。哲学は固より時間のうちに沈没してしまつてはならない。しかし
時間のうちに、時間のうちから輝き出ないやうな永遠が眞の永遠と云ひ得るであらうか。
 哲学は教育として自己自身に封し、また時代に封し責任を名はなけれはならない。然るに今日
一我が国の若い世代の哲学者の間において著しい現象となつてゐるところの、マンネリズムに化し
哲出撃と教育
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                                            四三〇 ノ
てしまつた所謂挿澄法は、縛澄法と稀する抽象的な哲学は、落ちが最初から分つてゐる下手な落
語のやうなもので思排の遊戯となり終り、我々の時代に封する何等の決意を示してゐないのであ
る。私は固より縛忍法に反封するのではない。しかし、縛讃法こそマンネリズムを排斥し、思惟
の限りなき緊張を要求するものであるにも拘らず、それが一個のマンネリズムに化してしまつて
ゐる今日の我が囲の特に若い世代の哲拳界に封して不満と疑惑とを表明せぎるを得ないのである。
それは哲学的精神の喪失であるとまでは云はないにしてもその沈滞を意味すると云はれないであ
らうか。
 哲撃は自己の本質に生きるために端初の精紳に還らなけれはならない。端初が偉大であるのは
早に端初である故でなく、端初が最も純粋に本質を現はしてゐる故である。哲学はその端初的本
質において教育である。そのことは今日哲学が所謂思想善導の哲学となることを意味するのでは
ない。ソタラテスは決して所謂思想善導家ではなかつた。却つて彼は青年を誘惑する者として、
停統的な宗教を破壊する者として告蓉され、牢獄において死なねはならぬ運命におかれたのであ
った。この謂はは思想意導家がしかし人類の歴史における眞の思想善導家となつたので卦る。そ
こに歴史の拷澄法が存在するのであつて、かやうな縛澄法を離れて哲学的精神は存在しないので
Z鬱蒼≡            〈t祥甘っノ
あらう。挿語法は畢なる思惟の論理でなく、資在の運動の形式であるとすれは、それは自己の生
活と活動とのうちに表現されるのでなけれはならぬ。科挙の一分科としての教育と哲学との関係、
また哲学の一部門としての教育、哲学の問題が、今日の不毛な非生産的な状態から脱するといふ
ことも、哲学的精神の昂揚を侯つて初めて可能なことである。哲学は政治でないにしても教育で
なければならない。
哲撃と教育
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